怒らないから優しい?ぶつからないから優しい? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

【カウンセリングルーム「アンフィニ」/名古屋市中区】 
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皆さん、本日の心の天気はいかがですか?

心理カウンセラーの青柳雅也です(^^

このブログで、心理カウンセリングや心理学を身近に!

さて、今回は「調和」について。

皆さんは、最近人間関係で何かありましたか?

全く何もないですか?

 

私たちは、社会で生活する以上は、

何かしらの他者との関りを持ちます。

 

遠いかもしれませんし、近いかもしれません。

浅いかもしれませんし、深いかもしれません。

心地いいかもしれませんし、不快かもしれません。

どうでもいいかもしれませんし、関心があるかもしれません。

 

人間にはそれぞれ、"自我"があります。

自分がどういう人間かということを思春期ごろから確立していくのですが、

皆さんは、どういう人ですか?

 

自分で優しいと思っているかもしれません。

自分で人見知りと思っているかもしれません。

自分で明るいと思っているかもしれません。

自分で飽き性と思っているかもしれません。

 

しかし、他者から見る自分が、

自分の理解する自分と"一致"しているとは限りませんよね。

その中でも、

「優しい」

という人格要素の概念のバリエーションたるや。

かなり多岐にわたると感じます。

 

皆さんは「優しい」ってどういう人をイメージしますか?

 

時々、

こういう人を「優しい」と表現します。

 

□怒らない

□反論しない

□同調的

□人とぶつからない

 

一見は人と摩擦が起きませんから、

温厚、優しい、平和的と称されます。

 

果たしてそうでしょうか?

そうかもしれませんし、そうとも限らないかもしれません。

 

なぜならば、

人は他者に「期待」し、「願い」ます。

それが叶わぬときに、「怒り」「悲しみ」に変わります。

 

もちろん、

一方通行で自分本位過ぎる「期待」や「願い」であったり、

四六時中、例外なく、感情を取り乱すことは、

人格的"未熟"です。

 

しかし、

関わる他者に対しての「期待」や「願い」が無い場合

それは「優しい」ということでしょうか?

ある意味「無責任」であるとか「無関心」な状態とも言えます。

 

他者に対して、

「無責任」であったり「無関心」なとき、

殆どの場合人は情を持ちません。

 

例えば、あなたが愛する人に対して、

怒ったり悲しんだりする行為も、

地球の裏側に住む、名前も知らぬ人がやったとしても、

あなたは何も感じなくないですか?

 

一瞬だけ居合わせて、

「違うなぁ。」

「何言ってんだ?」

という発言を受けても。

「そうなんですね。」

と受け答えすることも難しくないと思います。

 

現代社会において、

人とぶつかるというのはエネルギーがいる事ですが、

相手があなたの大切な人であるならば、愛に基づく気持ちならば、

ぶつからないことが「調和」なのではなく、

ぶつかることも含めて「調和」なのではないでしょうか。虹
 

 

 

いつも有難うございます。

忖度し過ぎるときはアンフィニへ!

.

ご予約は052-253-5040まで!

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