イエス・キリストから学ぶ人の心理と真理 | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「ミラー・ニューロン」について。
皆さんは、どんなときに人の痛みを感じますか?
最近ありましたか?

例えばこの光景…。

 

ちょっと痛そうじゃないですか?

実はこの男性、友人に悪戯されて、
彼女に嘘を吹き込まれ、会ったとたんにぶたれた…。
という背景があったなら?

…なおのこと痛そうですよね。

では、違う背景を設定してみましょう。

彼は、彼女からお金を借りていて、
更に、そのお金で他の女性と浮気をしていたとします。
どうですか?

 

 

同じ光景なのに、ちょっとスカッとしますよね。

人間には
ミラーニューロンというものがあり、
人の喜びや痛みを自分のものとして感じることができるのです。

しかし、同じ行為を見て、
痛みが快に変わるときがあります。
それは「正しさ」によって「罰」へと認識が変わったときです。
この能力は人間が多くの集団をつくるために、必要とされた進化だったのです。

話は変わります。

12月25日はイエス・キリストの誕生日。
そのイエス・キリストが、弟子と町を歩いているとき、
ある女性が、皆から石を投げつけられていました。

 

イエスが、制止すると、
その女は不貞の罪を犯したからだということです。
イエスは、ならば(投石を)続けなさいといいます。

「えっ!?」ですよね。

しかし、言葉は続きます。

ただし、最初に石を投げるものは、
 今までに一度も罪を犯したことのない者が投げなさい。」


そうすると、誰も石を投げなかったそうです。

投げられませんよね。

罪を犯したことがない人なんていませんよね。

私たちの心は、他者の痛みを感じることができるのに、

「正しさ」によって「罰」だと認識したときは、
他者に罰を与えることに「快」を感じてしまう
のです。



勿論、世には罰が必要なこともあるでしょうけど、
それを知ったうえで、
「私刑」となっていないかを問うことです。虹

 

 

いつも有難うございます。

正しさが暴走したときはアンフィニへ!

.

ご予約は052-253-5040まで!

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