ちょっとしたツキよ
出てきてちゃぶ台!
まず最初に書いておかなければならないことがあります
『鹿の王の末裔シリーズ』で書かれるご友人の家系と関わりのある鳥取県鳥取市を治めた因幡鹿野(しかの)藩初代藩主・亀井茲矩と、ご友人のお兄さんのお嫁さん(Sさんの文中で『メガネ右さん』)の出身である山口県現・周南市の鹿野(かの)町との関わりです
私は同じ血筋だと思っていましたが、そうではなく
山口鹿野町の血が、鳥取鹿野町に因縁がある血を呪詛から守っている、という話でした
ただSさんの文中にも怪しいところはあり、シリーズが終わった後に軸となる話を掘り下げようと思います
(こんな有り様だからこそ、後ろさんは周りから掘らせているのだと思いました)
この事に気付いたのは今日の夜遅くで、そんな調子で今回は途中まで気付かないまま書いています
このブログを読まれる方を混乱させる事を書いてしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _;)m
この事を踏まえて、以下の文章をお読みくださることをお願いいたします🙇💦
「(^_^)大変じゃのう。」
………………………こんな夜遅くに気付かせるなんて……
「苦労をすることを避けてはならんのじゃよ。」
「誰よりも混乱しやすい頭。だが、こうして調べあげるのはお前しかおらん。」
「そしてクズも煙に巻く書き方をするからな。」
「諦めるな。」
シリーズが終わってないんで、本筋から外れたところで突っ込むしかないんですが。
前回は隅立て四つ目紋に似ていると書いた大内菱ですけど、枠がゴテゴテしいな!って思ってまた調べてみたら。
初期の大内菱にはあのゴテゴテ枠ではなくて、両側にツルのような菱の実の尖った部分を図案化したものがあったらしい。
元々はシンプルな唐花菱紋の一種みたい。
そんで湯氏は剣花菱。花輪違いでもあるらしい。
湯氏も宇多源氏佐々木氏族なんだけど、それも出雲源氏の氏族だった。
佐々木義清は鎌倉幕府御家人で、鎌倉時代初期の人。
没年が1248年頃。
亀井茲矩の生誕は1557年。現在の島根県松江市玉湯町の生まれ。
佐々木義清が出雲国人と婚姻して出雲・隠岐を統治してから300年以上。
亀井茲矩には出雲国の血が多く流れている。
その亀井茲矩に顔が似ているというご友人のお兄さんが、なんで『石見の遺伝子が濃い』になるのか分からない
Sさんは亀井茲矩を調べて、亀井茲矩像の写真を見ても、ご友人のお父さんとお兄さんに似てるとしか書いていなかった。
「(^_^)……そうだな。霊視をすれば分かったことだな。」
肝心のお兄さんの前世を視ないし、ご先祖様も探ろうとしなかった。
亀井茲矩が深く関わる呪詛だったなら、解決のために亀井茲矩本人が霊能者のSさんにアクセスしようとするだろうに……
亀井家が没落していたなら、解決する力がなかったと思えるけど……
亀井家の長年に及ぶ繁栄を思えば、お兄さんの沖縄移住も早く叶ったろうし、お兄さんより縁の強い人間にさせる事もできる。子孫だけど亀井茲矩とは直接の血縁関係がない衆議院議員の亀井亜紀子さんは東京目黒区の生まれでカナダのカールトン大学にも留学してたけど、本籍は島根県松江市で、先日島根一区で当選している
たぶん亀井家と魂の繋がりがある人なのかな?
特に長く続く名家とかには、そういう何かしらの使命を負わされたような子孫の方がたくさんいるのでは…
何もSさんとご友人の成長度合いに頼らなくても、他の手立てで400年間のうちに解決できる一族の人間や霊能者を見つけられる力はあると思う
そしてSさんがご友人の家族に見せていた亀井茲矩像が、他の像を押しのけて本当に亀井茲矩本人に似ているのかも分かる
何より、浜田市ー松江市ー鳥取市を何度も行き来していたSさんに、ご友人のお父さんが危険な目に遭う前に、必ず呪詛の存在を別の形で知らせることができたはずなんだよね。
絶対に霊視に持ち込ませようと働きかけると思う
特に勘が強いというご友人のお母さんを使って
Sさんとご友人は15年近くの付き合いがあるから、Sさんは数年前に亡くなられたというご友人のお母さんに会うこともできたはずなのに、直接会話したという記述がまだない。
「(^_^)今のところ、友人たちとその家族の話した内容を、クズの得意の推測で合体させておるだけじゃのう。」
Sさんのブログに貼られたリンク記事!
私、いいねを押してた。
大体Sさんの記事にいいねを押す時は、後ろさんにヒョイッと動かされてる。
今回は話が長くなるんで端折ると、Sさんは『行く前に巫力を使い過ぎて畑ですっころんで力が入らない事件は起きたが、まあそんな事は大したことではない』と書いていたけど、そもそもころんではいなかったと、このブログでは以前書いた。
「ワシらには、クズが人の欠点を寄せ集めて物語にしていると見えるのだよ。」
「『こいつは前世で何かやらかしているに違いない』という類の下衆の勘繰りを、捏ねくり回しているのだとな。」
あれ。結論言っちゃう?
いやいやいや、まだ分かんないまだ分かんない。
アタイ、そうやって煮え湯を飲まされてきたんだから、その手には乗りませんよ!
Sさんがブログ記事の最後に出した神社の写真。
鳥取市鹿野町の鷲峯神社かと思うんだけど(←グーグルレンズで調べました)、亀井茲矩の嫡子・亀井政矩が再興した神社で。
なんで亀井茲矩が再興した白兎神社でないのかが気になる……
そして新たな謎が。
剣花角と剣花菱………調べると(著作権でリンクを貼れまテン)剣花角は◆、剣花菱は♦(←このマークを横にしたもの)で、出雲大社の御神紋の名称としてよく書かれる『二重亀甲に剣花菱』は二重亀甲に剣花角だと分かりました。
能義神社の神紋が二重亀甲に剣花菱です
出雲源氏の家紋は花輪違。
七宝の中に花角を入れたもの。
湯氏は出雲大社リスペクトなの?
しかし、白兎神社の神紋と、再興した亀井茲矩。
Sさんは鷲峯神社を再興した政矩には今のところ何の言及もしていないけど、次回かな。
まさか、【ほら、鳥取市鹿野町の神社に隅立て四つ目の紋があるわよ〜】で、ご友人の家系が亀井家と関係あると畳み掛けるだけとか?
「(^_^)楽しみだな。」
却下でいきます……
今、鷲峯神社の御神紋調べたら、丸に違い梛の葉で。
船乗りに信仰されたり、熊野信仰に関わる一族に多い家紋だって書いてあった。
家紋が染めてある神前幕もなさそうだし。
………まあ、大内氏や他の氏族同様、有名どころの人物の子孫を名乗ろうと思えば、それっぽい資料があればあるほどできるわな。