10年が経ってしまった。
何かと言うと、GAME家がカマタマーレ讃岐を応援して10年が経ったのだ。
ほんとは何人かで乗り合わせて行こうかな…とも思っていた天皇杯1回戦。
でも何となく、嫁さんはいろいろ寄り道しながら試合会場に行きたそうにしてたので2人で行くことにした。
福山城を見てから会場入り。
壮絶な点の取り合いの末、讃岐は2回戦に駒を進めた。
讃岐の試合を観に行くようになったのは10年以上前のこと。
2012年だった。
最初はあたしと長男で観に行くようになって。
これに混ざりたいと長女も加わって。
讃岐はJリーグ参入を果たす。
しかしJリーグでは大いに苦戦していた。
そこに嫁さんが
「私が讃岐を勝たせてあげよう」
とかなんとか言って観に行ったのがJリーグに参入した2014年5月24日、15戦目になるカターレ富山戦だった。
この試合で勝った時の幸福感は未だに忘れられない。
ここから家族全員で讃岐を応援するようになった。
そのことをさらに決定づけたのはこの後のアウェイ岡山戦。
初めての瀬戸大橋ダービーだった。
でも実は一方で微妙なバランスとなっていたGAME家。
長男は中3になっていた。
自立させなきゃいけないと思っていたあたしは、中1になってから長男とは距離を取る決心をしていた。
いつも一緒にいたから、自分としては胸が引き裂かれるような気持ちもあった。でも親離れ・子離れの時期なんだ、そう言い聞かせた。
長男はきっと戸惑ったことだろう。
あたしは相談に乗ってあげることもせず、ふざけた話しかしなくなった。
単身赴任中だったので、平日はいない。
だんだんあたしと長男の間で口数は減っていった。
これで長男が自立したのかどうかはわからない。
あたしの判断が正しかったのかもわからない。
でもそうした。
そんな二人の鎖国のような関係にあって、出島的な立ち位置だったのがカマタマーレ讃岐だった。
そして今月、長男は結婚した。
式のなかではたくさん「カマタマーレ讃岐」という言葉が出てきた。
あたしがそうだったように、長男も"出島で交流"することがとても大事なことだったようだ。
今年は長女も成人式を迎えた。
1月に帰省してきた長女は成人式の数日前から何故か讃岐のユニフォームを部屋に吊るしていた。
その意図がよくわからなかったけれど、成人式当日になってわかった。
すべてのスケジュールが終わると突如、こんなことを言い出した。
「ピカスタで写真が撮りたい!」
そう言ったものの、時間はもう17時を回っていた。
何とか車を滑り込ませて、スタジアムの外からだったけど写真を撮った。
大ファンだった仲間隼斗選手が讃岐を離れると、次第にスタジアムから足が遠のいた長女。
でも、ここは彼女にとって大切な”遊び場”だったのだと痛感した。
天皇杯1回戦の試合後。
下道を通ってのんびり帰る道中、2人で他のアウェイにも行きたいと話する。
大宮や金沢、讃岐じゃないけど京都のスタジアムにも行きたい。隼斗の試合も観に行きたい。
いろいろと湧いてくる。
家族4人、それぞれにカマタマーレ讃岐にまつわる物語がある。
カマタマーレ讃岐のおかげでたくさんの仲間とも知り合えた。
本当に感謝している。
10周年を迎えたカマタマーレ讃岐は今、苦境に立たされている。
10周年で残留争いかよ…という悔しさはあるけれど、変わらず応援していく。
でも勝ち負けだけに囚われていたくない。
格好つけて言っているのではなく、自分にとって讃岐は勝ち負けよりもどれだけ多くの人たちが讃岐を楽しんでくれるかの方が大事。
それが仲間を増やし、カマタマーレ讃岐にまつわる物語を増やしていくのだから。
この先10年も応援していきます。