高木和正がピッチを出て行ってからの試合展開をほとんど覚えていない。
虚ろにピッチ内を眺めていた。
サッカーを観ているというより、サッカーしているのが視界に入ってきているという感じだったと思う。
蒼いユニフォームは色を失い、音も消えていく。無声映画のよう。
高木クンが去って、試合終了まで覚えているシーンはたった2つのシーンだった。
一つは竹内彬が交代でピッチを去る場面。
バックスタンド側にも大きく手を振ってくれた。
もう一つは佐々木渉がスルーパスを放ち、鯰田太陽がシュートにいこうとしたシーン。
もう少し早く右足を振り抜いていたなら、もしかしていたかもしれない。
試合が終わる。
アキラ兄さんはチームに残ってくれると言うが、高木和正という讃岐に不可欠な存在はどうなるんだろう。
少なくとも来季はこの二人をピッチ内で見ることはなくなった。
休みの日。多くの時間を讃岐と過ごしてきた。
讃岐とはいつも一緒だった。
終わったんだ。
胸の奥で懐かしいギターの音が聴こえる。
何故かあたしのなかでは、讃岐とは関係ないはずの、懐かしい懐かしいこの曲がかかっていた。
作り笑いが歪む 長い月日が終わる
胸に染みるのはイヤネ こりゃ何?
割と長くなったし
お体だけはどうぞ大事に…
そうネ終わりは当たり前のようにくるものだし
仕方ないゼ はしゃいでたあの日にサラバ
気の向くまま過ごしてた二人だから そう
終わること感じてた 割りにミジメネ
いつも一緒 何をするにも讃岐だった
あんな日はもう二度と来ないような気がして…
HONEST LOVE 傷つけてばかりだったけど
HONEST LOVE 高木だけは愛してた…
しばらくして、セレモニーが始まる。
「(選手やスタッフの頑張りを)結果に結び付けられなかったのはトップの責任」
そう自分を責め、謝罪する池内社長。
みんなはどうか知らないが、あたしは謝罪なんてどうでもいい。聴きたいのは、池内社長がこのクラブをどうしていきたいのかということ。
上野山さんの去ったこのクラブで、地域密着型の育成型クラブの看板を下ろすのか、下ろさないのか。
下ろさないなら、具体的な施策を聞きたい。
育て方を知らない育成クラブはもう嫌だ。
そして…謝られてばかりのホーム最終戦セレモニーはもうたくさんだ。
池内社長の挨拶に続き、ゼムノビッチ監督の挨拶が行われた。
「温かい声援と日本一のうどん、忘れません」
と話した。
冗談のつもりだったろうが、この雰囲気でそのジョークに笑う人は残念ながらいなかった。
ビデオメッセージが流れ、2人のレジェンドの引退セレモニーが始まった。
竹内彬の挨拶が始まる。
セレモニーを用意してくれたクラブ、応援、支援してくれている人たちへの感謝を述べ、挨拶が始まった。
「言い切ることが難しかった」
と後述した「引退する」という言葉を口にした。
私、竹内彬は…(涙を堪える)今シーズンをもって…引退します…。
ここで讃岐で着けていた背番号30についてのエピソードを涙声で披露してくれた。
思い起こせば幼少期…小さい頃からボールを蹴り始め、小学校に入学すると同時に地元にあった城郷SCというチームに入りました。
その時、初めてもらった背番号が…30番でした。
(場内拍手が起きる)
プロサッカー選手になりたいと自分にとってはとても大きな夢を持つようになり、特別突出したサッカーセンスがあった訳でもなく、上手かった訳でもありませんが、小学校から大学まで城郷SC、横浜新井JFC、向上高校、国士舘大学、すべてのカテゴリーで素晴らしい指導者の方々、チームメイト、関係者が多くのものを自分に与えてくれました。
22歳の時、自分の夢であったプロサッカー選手のキャリアを名古屋グランパスでスタートしました。
それから今日までの16年間、素晴らしい夢のような世界でした。
しかしメンタル的に難しい時間も当然あった訳で、その時の乗り越え方をアキラ兄さんは教えてくれた。
しかしその一方で、大変なことやしんどいことも同じぐらいあり、心が折れそうになったことも何度もありました。
そんな時はいつも原点に帰って物事を考えるようにしていました。
"自分はサッカーが好きだ。今日もサッカーができる。朝起きて自分が向かう先はサッカーグラウンド。感謝しなければいけない。"
そう自分に言い聞かせ、心を奮い立たせ、ここまで来た日を懐かしく思います。
そしてサッカー選手としての至福の時間も教えてくれた。
キャリアの中で、嬉しい瞬間は試合に勝利した瞬間です。
それに勝るものはありません。
サポーターの皆さんと喜びを分かち合う、その瞬間…。
今日(勝利することが)できなくて申し訳ありません。
名古屋グランパス、ジェフユナイテッド千葉、大分トリニータ、カマタマーレ讃岐。
すべてのクラブでファン・サポーターの方たちがいつも温かい声援、時には叱咤激励をしてくれ、背中を押してくれました。
本当にありがとうございました。
そして感謝が止まらなくなるアキラさん…。
えー、ここまで、プレーを続けてこれた理由の、大きな理由の一つとして(挙げられるのは)、丈夫で頑丈な身体に産んでもらえたことだと思っています。
父母に感謝しています。
また、いつもそばで自分を支えてくれている妻、二人の子供たちにも感謝しています。
今日、このセレモニーをさせていただくにあたって、いろんなことをたくさん考えて何を言おうか考えましたが、16年間、毎日真剣勝負でやってきましたのでそれを数分でまとめるというのはなかなかボクには難しく、今もちゃんと皆様に話せているのか不安ですが…
今日皆様に伝えたいことは一つです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
えー…今日、この後、カマタマーレのレジェンド、(少し微笑んで)讃岐のキング・高木和正のセレモニーもあります。
彼がいなければ、ボクはこんなにもスムーズにここでプレーができなかったと思います。
ありがとうと言いたいです。
最後にひと言、言わせていただいて、締めたいと思います。
16年間、本当に素晴らしい、楽しい現役生活でした。
ありがとうございました。
この後、中編②で記したように、高木和正の挨拶があった。
その後、バックスタンドへチームが挨拶にやってきた。
ここでアキラ兄さんがメガホンを持った。
その言葉は色も音もなくなった世界を少しだけ明るく照らしてくれた。
お疲れ様です。
皆さん、今日もありがとうございました。
残念ながら勝てませんでした。力不足です。
自分の想いはさっき話させてもらいましたので、重複してもしょうがないと思うんでアレなんですけど…
ボクはあのー、来年からもカマタマーレに残ってカマタマーレの力になれるように支えていきます。
(場内拍手)
チームを強化して強くしていきたいという気持ちがあり、その他にも…
このピカラスタジアムをカマタマーレブルーに染めたいというのが自分の夢です。
(場内拍手)
たくさんの方が水色のユニフォームを着て、毎試合スタンドを埋め尽くして、ここにいる選手たちが素晴らしい、より素晴らしいプレーできるようにボクも来年から頑張っていきたいと思います。
その心意気がとにかく嬉しかった。
ここまで堕ちたチームを立て直すのは多分簡単じゃない。
それでもこの弱小クラブを愛情をもって強くしていこうと、ピッチを離れても闘ってくれるアキラ兄さんに感謝の想いが溢れた。
思えば試合が終わった瞬間、薩川淳貴は悔し涙を流していた。
中村駿太も試合終了後に頭を掻きむしっていた。
彼も泣いていたのかもしれない。
この二人が残ってくれるかどうかはわからないが、ちゃんと想いを持って闘ってくれていたのはよくわかった。
色も音も失いかけていた世界は蒼を僅かに取り戻した。
メインスタンドで挨拶を終えると、引退する二人は胴上げで宙を舞った。
そしてアキラさんは、
「ゼムさん!」
とゼムノビッチ監督を呼び込んだ。
「ユーショー、シテナイヨー」
と拒んだゼムさんだったが、最後はアキラさんに押し切られるカタチで身を委ねた。
カマタマーレ讃岐@kamatama_kouhou【11/28(日)鳥取戦】#高木和正 選手 #竹内彬 選手 #ゼムノビッチ 監督の胴上げシーンをお届け🎥#カマタマーレ讃岐 https://t.co/ZCuO2kvQxn
2021年11月30日 18:15
チームを最下位に導いた監督を胴上げで送るのは少し異様な光景ではあるが、お先真っ暗な状態を救ってくれたゼムさんの人柄を讃える態度を取ってくれた。
そう、彼はまだ讃岐のキャプテンなのだ。
任務を全うしようとする姿に感動する。
そんなアキラさんが讃岐に残ってくれるという。
枯れ果てたこの土に希望の種を植える漢。
彼がどんなチームづくりを行うのか、そこを楽しみにしたい。
ピッチは離れるが…
導け、勝利の道へ。竹内彬!
※読みやすさを考慮して、選手名は敬称略としました。ご了承ください。
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