今朝も目が覚めた。
左足親指の痛み、整体の先生によると、爪の食い込みはないが傷があり、そこから感染を起こしている可能性があるそうだ。腫れているし、赤みもある。3、4日消毒をしたら収まるはずと言われるが……。
やはりこの傷をかばって歩いたせいだろう、左腰に「新たな凝り」が表面上に出現しているとのこと。こちらも「一難重ねてまた一難だ」。奥の方に居座っている炎症部は消えていないのだから。
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何だろうな。左足親指の傷、ホントにちっちゃな傷なんだ。昔ならバンドエイドでも張って「気がついたら治っていた」ろう。なのに、やたら気になるのは、腰が一向に改善しないことから「コレも治らないんじゃないか」と思ってしまっているからだ。
昔なら……そう、昔なら「仕事」があるから痛くても歩かなきゃ仕方がない。そうしているうちに、いつのまにか腰痛も消えていたものだ。だから、
「今も仕事をしている」ものと仮定して日常生活を送ればどうにかなるんじゃないか
と去年試してみたが、全くうまくいかなかった。いや悪化という最悪の結果を招いた。
なぜか。
答えは簡単だ。
「本当はもう仕事をしていない」
と脳は知っているからである。
ウイルスが基本的に強毒化しないのは、宿主が死んでしまうと自分たちが増殖していけないからでしょ?
それと同じで「本当に働かなきゃいけない場面」(=ご飯が食べられなくなると生きていけない)では脳は何をさておいても「生きる」を最優先する。故に「歩いて仕事に行ける」ように「腰痛を緩和」する。
けれども、シミュレーションに過ぎない場合、脳は動いたことによる腰への負担にのみフォーカスする。とりあえず仕事しなくても死にはしないんでしょ? というわけだ。
「タラレバ」は解決策にならないことを思い知ったよ。