うまくいくのは「たまたま」、失敗するのが「当たり前」 | 3atuki6のブログ

3atuki6のブログ

慢性疼痛に見舞われた男の日々のつぶやき。スミマセン、愚痴の吐き出し場です。同じような思いでいる人、います?

今朝も目が覚めた。左臀部の肌のかぶれに汗が染みて痛い。浅い眠りの日が続く。左足親指、昨夜も出血していなかった。見た目は変わらず。割れて尖った爪が生えてきてるがこのままでいいのか?

 

「朝散歩」、今日は公園まで歩いてみた。往復約18分、公園で10分休憩。厄介なのは、歩いている途中ではオレの左脚の痛みは増さないということ。でも、その後しっかり「悪魔」が「元を取りに来る」。「悪魔」とはオレの中にいる、オレの邪魔をすることを生きがいにしてやがる「マイナス野郎」のことだ。案の定、帰宅後左脚の痛みが増した。

 

 

俺は「自己肯定感」が低い。子どもの頃に肥満児でそのことをからかわれるうちに「太っている俺はダメなんだ」と、自分でも無意識のうちに思うようになっていたのかもしれない。その反動で、「承認欲求」が高まったのか。音楽をやり始めたのも「自分を認めさせたい」という願望があったんだろうな。もちろん最初は、「絵空事」の歌謡曲(俺の思春期にはJ-Popなどという言葉はなかった)ではなく、「リアル」なロックやフォークに純粋に憧れたんだけど、「人前で演奏したい」と思うようになってからは「承認欲求」を満たすために音楽をやっていた気がする。自信なんてなく、褒めてくれる人がいても「それはたまたま」、けなされるのが「当たり前」と思ってた。悔しいのはもちろんだけど。どこかで「自分はダメな人間」だと自分自身が認めちゃってたんだろうね。

 

「自己肯定感」が低いことのメリットは、「承認欲求」を満たすために「努力」するようになること、かな。俺も褒められたくて一生懸命練習した。そのおかげで一定の評価は得られた。でも、人ってのはどんどん欲が膨らんでいく。一番にならなきゃダメなんだよ。自分よりうまい奴・評価の高い奴が現れると、途端に「自分はダメなんだ」と落ち込む。

 

今となってはつくづく思うよ。下手くそなのに、練習もすることなく楽しそうに音楽やってる奴っているじゃない? 昔は「ああはなりたくない」と思ったけど、実はこれが理想的で幸せな姿なのかもしれないってね。「自己肯定感」が高くなきゃこういう風にはならないでしょ? いい人生を歩んできたんだろうな、うらやましくなるよ。

 

うまくいっても「たまたま」、失敗するのが「当たり前」。こんなクソな人生観から抜け出せるものなら抜け出したい。