またまた更新が久しぶりになってしまった。
ケータイでは長い文字書く気がしないし、パソコンを開いても色々調べものをしているうちに時間が過ぎてしまう。
ネット見てるとなんでこんなに時間が経つのが早いんだろうか。。。
そんな私は最近、久しぶりに古典を読んでいる。
もともと古典は好きで高校も古典の授業は楽しかった。
大学も文学部で古典には触れてきた。
でも学生時代の勉強は結局は教科書を読んでいただけで、作品の背景、作者の生い立ち、教科書を読み解こうとまではしなかった。
興味がそこまで及ばなかったと言ったらそれまでなのだけれど、学生時代に教科書を読むことは結局はテスト勉強に繋がってしまうもの。
でも大人になって改めて学ぶことはまた違う発見、解釈が生まれて最近の私にはとても新鮮。
そして改めて、大学の時もっと真剣に授業きいてればよかった!
と後悔する。
そういえば学生時代、母親が同じことを私に言っていたけれど、当時の私は『もっとちゃんと勉強していればよかった』と言える立場にある大人が羨ましかった。
興味のない勉強もテストの為、進路の為、しなくてはならない現実から逃げ出したかった。
やりたくないことを、嫌だ嫌だと駄々をこねる2歳10ヶ月の息子と同じだ。
でも大人になってから思うのは勉強に多くのことは経験しておいて損はないということ。
そこから興味のあることを選ぶ道が開ける可能性が高まるのだから。
でも学ぶことに早い遅いはない。
だから私は今も本を読んで千年前の物語を読んで何かを感じたいと思う。
古典文学の中で好きな作品はたくさんあるけれど、中でも百人一首は多くの人にとって身近な作品の一つだと思う。
私も百人一首は大好きで小さいころも坊主めくりをしてよく遊んだものだ。
百人一首の魅力は百首のうち自分好みの歌にめぐりあうことができ、その歌と常に一緒にいれることではないだろうか。
好きな和歌一首を覚えることはさほど難しいことではない。
私は何か落ち込んだ時や、緊張している時など心の中で和歌を詠んで気持ちを落ち着かせたりもする。
百首のうち好きな和歌はたくさんあるけれど、中でも50番目の藤原義孝の和歌は現代人の私たちの心にも響くものがある。
君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな
簡単に言ってしまえば、
君に会うためなら死んでもいいと思ってた。でもまだ死にたくない!君ともっと一緒にいたいよー!的な意味だったはず。
素敵!素直だ!
この義孝、かなりのイケメンだったそう。
しかもこの歌を詠んだ数年後、3年後だっかかな?天然痘でなくなってしまった。
そのこともありこの和歌は人々の心に響くものがあったのだろう。
もちろん和歌自体素晴らしいものだけど。
ストレートな気持ちを、とても美しく、力強く、そしてどこか儚く感じさせる、それがこの和歌の魅力だと私は感じている。
なんといっても美しい。
きっと外見だけでなく内面もとても美しい人だったんだろうとこの和歌から想像できる。
この義孝には藤原行成という息子がいて、私はこの人のことも大好き。
三蹟のうちの一人でとてもとても字が上手。
約20年間書道を続けていた私としては、本当に神のような書だ。
行成が清書した『和漢朗詠集』も大学時代に何度も何度も臨書した。
この和漢朗詠集は撰者は藤原公任で行成が清書したもの。
特に私は行成の書く仮名が好きだ。
本当に美しい。
でもこの行成、ちょっと変わり者というか人付き合いがあまりうまくなかったようで、そのエピソードは行成と仲の良かった清少納言が枕草子で綴っている。
そして清少納言の和歌も百人一首に収められている。
百人一首62番 清少納言
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
この歌も行成に送ったもの。
私はガードが堅いのよ!って感じの意味で(端折りすぎだけど笑)
これは中国の故事とかのこともあるので意味は短くしたけど確かこんな意味。
この強気な感じがいい!
清少納言の頭の良さがでている。
そのことについては紫式部は、頭の良さをひけらかしてみっともない!的な感じで悪く言ってたけれど、今の時代でいったらキャリアウーマンの清少納言、カッコイイと私は思うなあ。
この和歌を送る前に行成と清少納言は手紙のやりとりをしていて、行成が清少納言に恋愛として興味があるという雰囲気の文章を送って、それに対する清少納言の返事といえる和歌だ。
清少納言は行成より6歳くらい上。
6,7歳下のいい友人関係だと思っていた男友達から急にそんなこと言われたら、は!?からかってんの!?と思だろう笑
しかもそれに対する行成の返事が衝撃的!笑
逢坂は 人越えやすき 関なれば
鳥鳴かぬとも あけて待つとか
ぅおい!!笑
これは現代語訳なくともある程度推測できちゃうかも。笑
あなたはいつでもオープンなんじゃないですか?(ガード緩いんじゃないの?的な?)簡単にしてしまったがこんなニュアンス。
行成は和歌が苦手だったそうだけど苦手とかのレベルではない気がする。笑
でもこんなこと言い合える二人の関係ってすごく羨ましいな。
教養の高い二人だからこそ詠える和歌。
実にかっこいい。
行成が本当はどういう気持ちだったのかはわからない。
清少納言と付き合っていたとか色々説はあるようだけど、私個人の考えでは性別、立場、年齢を超えた友情だったんじゃないかなと思う。
そしてこの清少納言と付き合っていたという説のあるもう一人の男、藤原実方。
この実方の和歌も百人一首51番にある。
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
君のことすごく好きだけど、言えない。そんな僕の気持ちなんて君は知らないだろう?
そんな意味のこの和歌の作者、実方はめっちゃイケメンで光源氏のモデルになった人物ではないかとも言われている。
この実方と行成にもエピソードがある。
二人はあまり性格的に合わなかったようで
ある日二人が喧嘩して実方が行成の冠をはたき落としてしまった。
激怒してもいいくらいのことだが行成は冷静な対応をしたそう。
しかしそれを見ていた一条天皇は実方のその行動に怒り実方を左遷し、実方は左遷先(東北)で亡くなったというエピソード。
でもこれは作り話だそうで、実際は左遷ではなかったらしいが。
でもこの二人の性格が合わなかったのはあながち嘘ではないんではないかと私は思っている。
いつの時代も合う合わないあっただろうし。
こうやって読み解いていくと百人一首は本当に面白い。
生きている時代は違うけど、同じようなことに悩み、悲しみ、喜び、心動かされている私たち。
それはなんだかとても不思議で信じられない奇跡のようなことだけど、それがこれから先も何千年と受け継がれていくと思うと、古典文学を読まずにはいられない。
そして私たちも何かを遺さずにはいられない。
そんな気持ちにさせられる。
それが文字なのか音なのか絵なのか何かほかの方法なのか、選択肢はたくさんある。
生きている証を遺そうとすることで、またそこから何かが生まれるのかもしれない。
私ももっともっとたくさんのものを読んで多くのことを感じたいと思う。
当分は古典文学の世界に浸っていようと思う。










