誰のために撮るのか (2) 〜「コラボ」の悲哀〜 | takasanのブログ

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ネットを覗いていて知ったのですが、今年はビートルズの「sgt. Pepper’s ・・・」販売50周年なんですね。

久しぶりに聴いちゃいました。

 

いやもう僕なんぞが言うまでもなく、オープニングの2分で既に勝負あり、です。

しかもいきなりポールマッカートニーとジョンレノンがやり合っています。(笑)

 

「ショーの始まり」をイメージしたオープニングですが、むしろ始まったのは、「abbey road」あたりまで続く二人の「ノーガードの殴りあい」、みたいな。

 

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異なる環境、異なる才能の人間が「コラボ」すると、新しいモノ、新しいムーブメントが生まれることがありますよね。

流行りの「シャータニ」などをみると、「コラボ」の力を感じますし、端から見てもなんだか「楽しそう」です。

 

一方、半世紀を経てもなお全く色褪せないような「とてつもなくスゴいモノ」を作りたければ、そんな綺麗事ではすまない、ということを、ビートルズは教えてくれます。

 

剥き出しの支配欲でグループの音楽性を牛耳ろうとするポールに対し、全く異なる音楽性でとことん「NO」を突きつけるジョン。

「楽しそう」なんて微塵も感じません。仮に僕がこの「コラボ」のメンバーだったら、1日で逃げ出します。(笑)

 

一歩でも引けば即相手に支配され、隷属を強いられる、という緊張感。

ぬるま湯では「とてつもない作品」など生まれない・・・そんな感じでしょうか。

 

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個人的には、仕事で「コラボ」が楽しかったという経験がありません。「ポールになれ」的なことを上司に言われたり、その真逆だったり、結局ロクなモノが生まれず、気分は最悪でした。

発注・受注の関係を明確にし、誰のために働くのか、成果物が誰に属するのかをはっきりさせたほうが、精神衛生上はるかに楽です。

 

「半世紀に一枚」の傑作でも狙わない限り、カメラマンとモデルの関係もそうだと考えます。

 

 
 
Tennoz, Tokyo, 2015
Canon Powershot S110