おはようございます。
本日もお越し下さいまして、ありがとうございます。
昨日、文房具屋さんに行ったら、若ご主人と奥様が軽い口げんかをしていました。
ご主人「おまえがちゃんと連絡しないのがいけないんだよ。最後まで責任持ってやれよ!」
奥様「あたしはちゃんとやったわよ・・・」
大きな文房具屋さんで、ご主人が2階、奥様が1階でレジを打ちながら、言い合っていました。
当然、それなりに店中に響く声です。
でも、それを聞いていて、不快というよりも、「そういうことを大っぴらにできてすごいなあ、ステキだなあ」と思いました。
自分じゃなかなかできないと思いましたので。
なんでもかんでも感情を出せばいいわけではないですし、暴力に発展したらもっとですが、そういうふうに「出す」ということもやっぱり大事だなあ、と思いました。
出すのが悪いんじゃなくて、「出し方」なんだと思いました。
<幸田先生語録>
自分で「これだ」と思っている感情や思いとは、別のものが潜んでいることがよくあります。
自分で隠しているのです。
「こういう思いは持っちゃいけない」とか、無意識のうちに、道徳観や常識から、自分がそれを持っていることを認めようとしたがらないのです。
以前からよく出ています「ついつい人をバカにしてしまう」関連の続編です。
関連記事はこちら 。
確かに、人をバカにする思いが出てきてしまうのは事実です。
でも、先日、バカにする直前に発する思いがあることに気づきました。
Aさんは、僕が無意識のうちにバカにしてしまう人のうちの一人でした。
そのAさんが何か発言していました。
それを見ていて、バカにする前に「あ、俺Aさんのこと嫌いなんだな」というのが出てきました。
顕在意識的には、嫌っていません。
すごく尊敬する部分もあるのです。
でも、確実に「嫌っている」というのが観えてしまいました。
顔が嫌いなのか、
しゃべり方が嫌いなのか、
第一印象が悪かったからなのか(飲んだくれてべろべろ、が第一印象でした。)
その方は後先考えずに発言したり行動したりする傾向があるのですが、そこが嫌なのか、
(イヤ、嫌い、と書いていますが、顕在意識では全然嫌いではないのです。僕にはできないような細かいこともできる方ですし、嫌いじゃないのです。矛盾してますが。)
で、その、うずうずっとした「イヤ、嫌い」感情が出てきて、その後に「ああ、またくだらないこと言ってるよ」という、バカにした気持ちが出てきました。
それを自分で観て「そんな些細な理由で人を嫌ってはいけない、っていう思いが強くあって、それを認めないためにバカにする、ということで代替の感情表現をしてるんだな」と思いました。(こねくり回した言い方ですみません。)
僕の中では、「嫌う」より「バカにする」の方が、人としてやっていいことなようです。(勿論全然無意識で、結果から見て、そうなっているとしか思えない、ということです。)
そうして考えると、何の気なしに発言している人をやっぱりバカにしていたりしています。
(僕の中でそういうのはよくないという価値観があるのでしょう。逆に、自分にはそれは禁止している、その分だけ不自由である、ということかもしれません。)
顔が怖い、とか、顔が意地わるそう、とかいうことでネガティブな思いをまずもって、そこからバカにする、という傾向もありました。
外見でバカにするのはよくない、ということから、内面でバカにする方を選んだのだと思います。(全く自分勝手な理屈です。)
なので、「何でそれを嫌いに思うのか」というのを、また観ていきたいと思いました。
ここまでお読みくださいましたあなた様、ありがとうございました。
あなた様にとって、今日も心自由な1日でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
追伸
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ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
それでは、失礼致します。