こんばんは。
お元気ですか?
パソコンも、元気で動いてくれていますか?
実は昨日、急に自宅のパソコンが動かなくなりました。
それについての自己観察を書かせていただきます。
<幸田先生語録>
日常の中で感情が揺れ動いた時、そこを見逃さずに、自己観察する。
① 出来事
パソコンが壊れた。
② 感情
修理代がかかって嫌だ。
③ 価値観
パソコンの修理にはお金をかけたくない。
価値観の検証
パソコン、2年半、一生懸命、働いてくれたのである。
疲れて、病気になってしまったのである。
それなのに、病院に入れるお金がもったいない、とか
治療にかけるお金を払うのがイヤだ、とか言っているのである。
パソコンはもはや単なる機械ではない。
たとえばブログ。
いくら上野がブログに書きたいと思っても、パソコン君がなければ、書くことはできてもみなさんに発信することはできない。
もはや大事な役割を果たしてくれている「人(かた)」なのだ。
その方が病気になったら、「病気になりやがって。病院入りたいだ?ふざけんな」みたいな感じで対応しているわけだ。上野は。
もはや非道である。
自分の為にはお金を使って、自分をサポートしてくれてる存在には
お金をかけたくないと言ってるのだ。
「ケチですね」って昔、言われたが、当然だ。
感謝もなければ、愛もないな。
自分をサポートしてくれる存在・・・
自分ひとりの力で生きているとは思っていなかったか?
だから、ふと、つらいとか、苦しいとかが出てきてしまうのではないか?
縁の下の力持ちをやってくれている人(存在)がいるとして
支えられてる方が「俺はひとりでがんばってるんだ」と言っていたら
支えてる方はどうだろう?
「冗談じゃないよ、じゃあ一人でやってくれ」となるか、
そうじゃなくても、悲しむだろう。
出る力も出なくなるだろう。
自分が現実を創造している(創造主)、というのは、自分が偉いと思うためのツール(考え方)ではない。
天上天下唯我独尊、ではない。
勿論創造主だから、そういう創造もできる。
でもそんな創造して、何が楽しいの、ということ。
何でこうなってしまうんだろう?
いつも、高慢になる。
それと気づかず、高慢になってる。
気をつけようったって、どう気をつければいいのか?
自分が不快になってきたときに、「高慢になっていないか」と自らに問いかけるか。
それくらいしか思いつかない。
それだけ自然と高慢になってしまう。
ともかくパソコンさん、体を張って教えて下さいまして
ありがとうございました。
感謝して修理に出させて頂きます。
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お読み下さいまして、誠にありがとうございました。
(観察の最後は涙がバーバー出ました。)
あなた様にとって、今日もいい1日でありますように、心よりお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
(この辺で涙が出てきた)