こんばんは。
こういうのを思うと、ほんとに外側(現実)というのは、内面が映し出されているものなんだなあ、と思います。
自然は特に強く映し出してくれてるよんうな気がします。
では、本題・・
<幸田先生語録>
自己観察は、24時間365日、いつでもできる。
つまり、いつなんどきでも、浄化できるチャンスがあるということ。
今日は、最近おこなった自己観察のシェアをさせて頂こうと思います。
自己観察の手順・やり方はこちら をご覧ください。
仕事関係(不動産)のことで、Sさんというお客様に端を発したものです。
(先日来、ねちねちといろいろおっしゃるお方でした。)
それでは、どうぞ。
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①出来事
Sさんに「自分の用事の手紙だけポーンとポストに入れて、電話の1本も寄こさず配慮がない!」と言われた。
② 感情
怒り。
その前にちゃんと電話しただろうがよ!細かいことうるさいんだよ!という怒り。
でもその怒りを発せられない。
③ 価値観
違うな。
感情怒りじゃないな。
上記の怒りももちろんあるけど、それは2次的なもの。
罪悪感だな。
Sさんが出てくると、罪悪感を刺激されるから、だから出てきてほしくないんだな。
「おたくは仕事もちゃんとしてないのにお金だけは取って、そんな不動産屋は(みたこと)ない!」
「そういう投げやりな態度がいかんって言ってんだ。」
(自分では投げやりの自覚はありませんでした。)
「管理してるくせに何もしてくれない」
うちが管理してる、っていうのはSさんの勘違いなんだけど
要するに入居者の役に立つことしろ、ということ。
全部自分自身の声(たぶん)。
この罪悪感があるから、このSさんにしても呼び寄せちゃうし、
仕事がらみでいろいろ滞るのもそのせいかもしれない。
ああそうだ。この前のKさんもそうだ。
「お金ばっかり取って」とか言われた。
それも呼び寄せたのだ。
罪悪感を感じながら「どうして、どうして」とやっていったら
お金をもらうことに罪悪感があることに気づいた。
それも、
掃除とか、わかりやすい肉体労働的なものへのお金はまだいいが
目に見える労働として見えにくいものに対して頂くお金、というものに罪悪感を強く感じているようだ。
さらに「どうして」と尋ねていくと
やはり「お金はタブーなもの」という思いに突き当たる。
私が子供のころからのお金についての教えで、汚い、というよりも
そのことに触れてはいけない、という教えがあった。
いくらかかったとか、高くて大変だとか、そういうことは言わない、言っちゃいけない、お金のことを口にしてはいけない、という家風だった。
何でそもそもそういう教えを両親はしていたのだろうと思いをはせる。
思うに
「子供にお金のことで不自由な思いをさせたくないから」
たとえば、「あれ食べたい」「これ欲しい」と言ったときに
「これは高いから買ってあげられない」「そんな高いもの!」という言い方をしたくない、ということ。
勿論教育上、何でも買い与えていいわけではないし、
実際そうではなかったが、与えない理由として「お金(金額)の大小」は言わないようにしよう、ということ。
たぶん、気持ちとして(精神的に)
「うちは貧乏なんだ」と思わせたくなかったのだろう。
(思うに、のあたりですごい涙出てきた。)
そういう配慮(子供への思いやり)」での
「お金のことを口にしない、してはいけない」を
「お金はタブー」「お金のことに触れてはいけない」
と受け取ってしまって、お金に関して恐怖感と嫌悪感、罪悪感を持っていた。
そうではないのだ。そういう意味でそんな教えをしたわけではないのだ。
むしろ逆で、お金のことで自由を感じてもらいたい、お金のことは気にせず、のびのびと生きてほしい、という願いの中での教えだったのだ。
(また涙が出てきた。父への思いも出てきた。)
浪人生の時、いろいろあってお金が必要だとき、理由をきいただけで黙って出してくれた。そんなことを思い出した。
そんなんだってお金があればこそできたことだし、出してくれる親がいればこそできたこと。
(また涙出てきた。)
受け取り方が違ったのだ。
タブーの為のタブーじゃなくて、
自由の為のタブーだったのだ。
お父さん、お母さん、
ありがとうございました。
そしてSさん、Kさん、ありがとうございました。
おかげさまでブロックになっていた価値観に気づくことができました。
(今、チェックの為に見なおしてたら、また涙出てきた。)
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④の対処法、というのはなく、価値観のところで涙があふれ、自分では浄化された感がありました。
そして、その晩のこと、そのSさんのところに行く用事ができまして行ったところ(すでにSさんに対しては浄化済みの状態。)
「ここを修理してほしい」とおっしゃっていたところは「自分で直したから大丈夫。」
それだけでなく「お母さんはお具合大丈夫ですか?」と心配までして下さいました。
(母の病院に付き添いで行ったため会社を留守にした間に、ちょうどSさんがいらして、そのことでぷんぷん怒っていたのに。)
すごく「いいひと」になっていました。
本当に自己観察、浄化ってすごいなと思いました。
ここまでお読みくださいましたあなた様、本当にありがとうございました。
あなた様にとって、今日も心豊かで穏やかな1日となりますよう、深くお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
上野 聡一朗 拝
※自己観察は、頭の中でやってもいいのですが、できるだけ書く方をお勧めしています。客観的に観られるようになるからです。
自己観察はここまでとなります。
普段は存在さえ気づかないような緑でも「ここにこんなきれいな草木が生えてたんだ」「立派な木があったんだ!」とか。
木や緑でもそうですね。
本日もお越し下さいまして、誠にありがとうございます。
こちらはいま、雨が降っています。
でも空(天気)って面白いですよね。
気持ちが落ち込んでいる時はどんなに快晴であっても、そんなことに気づかなかったり、むしろ「脳天気に晴れやがって」とか思ってしまったり・・・
逆に、悩みから解放されたりすると普通の晴れでも「うわぁ~なんてさわやかな空なんだぁー!」 なんて感謝したくなったり。