おはようございます。
今日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
お元気ですか?
くれぐれもお元気でお過ごし下さい。
それでは、参ります。
<幸田先生のお言葉>
他人を心の鏡として観る。
他人はいない。全部自分である。
<私の思ったこと>
昨日の続きです。
なぜそんなに周りからの評価を気にするのか、ということをずっと考えていました。
そして、ふと、冒頭の言葉が頭に浮かんできたのです。
「あ、そうか。他人はいないということは、全部自分だということは、結局、自分が自分のことを認めていない、許していないということか」ということに思い至りました。
そう言えば、少し前に、幸田先生から
「もう、自分を許してあげてもいいんじゃないですか?」
と言われたことを思い出しました。
その時は、「昔、就職した先で途中で挫折して、それを挫折と捉える自分の観方を修正した方がいいですよ」というような意味でしか捉えていませんでしたが、そうではなく、もっと、全般的なことを言われていたのではないかなあと、今、思いました。
先生からはよく「ジャッジ体質ですね」と言われます。
批判的な目で物事を観る傾向にある、というか。
(行った先のレストランで、説明がまごまごしていると、先を急がせるような言い方をしたりしてしまうのです。)
そういう時は決まって感謝を忘れています。
話がそれましたが、
「自分を許す」ということ。
「自分を認める」ということ。
改めてこれを意識してやっていこうと思います。
I.R.M.、幸田先生についての詳細は、こちらをご覧ください。
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ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
それでは、今日もご無事でお過ごし下さい。
失礼致します。
上野 聡一朗 拝