観に行ってきました!



海に浮かぶひさかたの

劇団SE・TSU・NAの舞台を初めて拝見しました。

2日目のトナカイバージョン、3日目のサンタバージョンにお邪魔しました。


2日目は席が前方だったこともあり

演者さんのかすかな動きとか吐息とかが伝わってきました(^^♪

ある場面の、客席と演者さんとの距離がぐっと近くなったときの

何ともいえない空気感…。

目のやり場に困りました(笑)面白かった~。


3日目のゲストが現れたときのこと。

中岡さんが芸人顔負けのことをされていました(笑)

あれはかなりびっくりしました。


両日ともとても楽しめました。

お子さんもたくさん会場にいらしていましたが

きっと楽しんでいるであろう様子が

会場に響く笑い声からも伝わってきました。

ぐっと来る場面もありました。

大人も子どもも楽しめる、でもガキっぽくない

素敵な舞台だったと思います。


DVDも発売されるようなので、ネタバレにならない程度に書きました♪

先日、生まれて初めて一人で映画館に行った。


事前にネットでチケットを購入し、劇場へ向かった。

当日劇場に着くと、今まで見たこともない人だかりができていた。

夏休みも終盤だったからだと思う。

心底予約しておいてよかったと思った。


チケットを引き換えようと、メールに記載せれていたパスワードを確認しようと携帯を見たとき


なぜか電源が切れていた。


電源を切った覚えはない。

無意識のうちに切ったのか?と考えながら携帯の電源を再び入れた。

当然のことながら起動した。

しかし、次の瞬間


「充電してください」


の文字の表示とともに電源が落ちた。

意味がわからなかった。

なぜなら、家を出る前に充電をしてきたからだ。


そんなことはどうでもいい。

問題は、パスワードがわからないことだ。

パスワードをメモしてこなかった自分を心の中でかなり叱った。


せっかく予約したのに、しかもクレジット決済だから…


駄目もとで劇場の方にたずねた。

すると、電話番号と名前を訊かれ、チケットを発行してもらえた。

上映開始5分前の出来事である。



私が観た映画は「桐島、部活やめるってよ」だ。

たまたま録画していたエンタメ番組で紹介されていて

面白そうだなと思って観に行きたくなった。


桐島という人物がきっかけで、誰かの日常が変化する。

あの人も、この人も、無関係に思えるその人も。


私が気に入ったのは、女子生徒たちだ。

自分がその場にいたらきっと同じようなことをいうであろう会話。

そして、誰のためなのかわからない気遣い。

女は面倒くさい。

それに比べて男子生徒ときたら、アホだ。

おそらくどこの高校にでも多かれ少なかれある光景が、この映画にはあった。


人には探せば譲れない何かがある(ような気がする)。

その「何か」の存在が脅かされたとき、人はどうするのか。

何もできないかもしれないが。


さて、この映画の主役はいったい誰なのか。

この疑問の意味は、映画を観た人にしかわからない。


桐島の気持ちを知るには…ドラえもんにでも頼んでみるか。

一緒に食事をしたり出かけたり そこまでじゃなくても

電話をしたりメールをすることもためらってしまう

なのにあなたは電話をぱっとかけてくるし

メールの返信も恐ろしくはやい


考えすぎなのかな でも考えてしまうよ

だってあなたは…


いきなり耳打ちをしたりコートを脱がせてくれたりするから

少しずつあなたの事を意識するようになった

もう会えなくなる日が近づいたころ

「向こうに行こう」と私を連れ出した


二人きりで何十分もしゃべらずに淡々と作業をした

私たちらしいなと思った


お久しぶりです 元気にしていますか?

もしよろしければ今度お茶しませんか?

そんなごく普通のメールでさえ

やっぱりためらって打てない


ただ話がしたいだけだから

もしよかったら連絡貰えませんか?

私の大好きな歌手がtwitterに書いていたこと。



ノリとか要らない。観たいから来た。それでいい。

一人が肩身狭い思いする客席には絶対しない。



自分がこの人のライブを一人であっても迷いなく行きたいと思えるのは

彼女のこのような考えがあるからなのかなと思った。


ライブや舞台が大好きな方に比べたら比べ物にならないけど

私はそういうものが好きで、ちょくちょく出かける。


どんなに大物であっても、有名なイベントであっても

「また行きたいとは思わないな」というものは正直ある。

逆に、そんなにメジャーじゃなくても

次回があるならまた来たいと思えるイベントもある。

少なくともそれに共通していることは

「一人であっても、楽しめそうである」

ということ。


一人でいることの最大のデメリット。

それは、今この瞬間を誰かと共有できないこと。

一人でいることの最大のメリット。

それは、今この瞬間を一人でかみしめられること。

だから、ノリを強制されることは最大の苦痛なのだ。

ノリたいひとがノレばいい。

今この瞬間を、私は楽しんでいるのだから。


ふと我に返る。

疎外感を感じる。

そういうライブが、私は一番嫌いだ。


人は嘘をつく。

本音を言えば、楽しくなくても

適当に話を合わせることが出来てしまう。

集団の中にいると、時に自分の気持ちに嘘をついてでも

行動をとってしまうことがある。

でも、自分ひとりだったら…


どんな人といても、たとえ一人でいても

同じ気持ちでいられる場所。

それがリピーターになることができる

最低条件だと私は思う。

お久しぶりでございます。

今日は書かずにはいられなかったことがあるので、書こうかと思います。


先日「おはよう朝日です」で、正しい日本語を学ぶという場面がありました。

内容的には「文法的に間違えている言葉を見直す」というものでした。

私が強調したいのは、この文法的にの部分です。

誤用例としてあがっていたのは


・形容詞の連用形を連体形と間違えて使っているパターン

・ら抜き言葉

です。

おは朝のHP から拝借すると


×雨がすごい降った
○雨がすごく降った

×食べれない
○食べられない
「る」を取って命令形にならなければ「ら」がいる


ごもっとも。

ただ、くどいようですがこれは文法的な誤りであって

正しくない日本語だと私は言いたくないです。


「すごい」は形容詞「すごい」の終止形もしくは連体形です。

しかし、後ろにきている「降っ」は動詞つまり用言であるため

「すごい」は連用形に活用する必要があります。

そのため、連用形である「すごく」が文法的には正しいです。

また、可能動詞は五段活用動詞から出来るため

「遊べる」は文法的には正しいですが「食べれる」は誤りになるという具合です。


言葉は日々変化するもの。

「新しい」という言葉は、「あらたしい」から化けたもの。

ら抜き言葉は、意味の違いを明確にするために使い分けているとも考えられます。

例えば「たべられる」といった場合

・尊敬の意味でつかわれる=召し上がる

・受け身の意味でつかわれる(チーターに食べられるなど)

・可能の意味で扱われる(賞味期限が切れても食べられるなど)

といった意味の識別をする必要があります。

この識別を簡単にしようと考える人がいても不思議ではないはず。

また前後しますが、「すごい降った」の場合、文法的には間違っていても

ニュアンスを伝えるため(自然と)用いている可能性も考えられます。


とはいっても、公の場でこのような言葉を用いるのは確かに控えたほうがいいです。

ちなみに「おられる」という言葉は、地域や世代によっては誤用と考えられるため

「いらっしゃる」を用いるのが無難です。


ただ、あれだけら抜き言葉だのなんだのかんだの言っておいて

説明で表示された画面が誤表記されているのは遺憾です。

正しい日本語をとやかく言う前に、字幕のミスなどの

単純なミスをなくす努力をするべきです


と、かなりおかためな日記を書きました。