親戚が言ってくれた理由パート1 | 鹿児島で古民家風で田舎暮し 無農薬野菜を栽培する農家の情報ブログ   

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~田舎の暮らしから無農薬での栽培の実際まで赤裸々に載せていきます~

おはようございます。

今日も読んでいただきありがとうございます。

つは農園 ツハーマンこと津波(つは)です。

何故、親戚がそんなことを云ってくれたのか・・・

昨日までのお話はコチラ

まず、そこに至るまでの出来事を少しお話しないと意味がわからなくなるので書きますね。

ご興味があればお進みください。

私の祖父は完全なる「うちなんちゅう」です。

祖父は昔の沖縄の風習に翻弄された一人とも言えるかもしれません。

同じ村の中でもあそこの集落の人とは結婚してはダメだ・・・とかあったそうです。

祖父も実際にそういう経験をしているそうで・・・・(いろんな方に聞きました)

傷心したというのもあるでしょうが

そんな昔ながらのルールが嫌になったのかもしれません。

実の姉が京都に嫁いでいたので

祖父は姉を追いかけて京都に行ったのです。

そこから沖縄の本家とは縁遠くなり

祖父は殆ど話をしない言葉数の少ない人だったようで

沖縄とのつながりがわからなくなっていきました。

祖父からも連絡をしていなかった様子があとからわかってきましたが・・・

祖父は父が学生時代に亡くなり、

この時点で沖縄の本家とは断絶状態。

戸籍に残る祖父の本籍を辿りおじが一度沖縄に探しに行ったことがあるが

見つからなかったそうです。

そして、父は探すことなく京都で生活をして

私は京都で生まれ育ちました。

私は小さな頃から人一倍自分の先祖やルーツに対しての想いがあったように想います。

大人になるにつれてどんどん想いが強くなるのですが・・・

その理由の一つに親戚関係が薄かったことにあるような気がします。

父方の親戚は近所に父の兄家族だけ。

母方の親戚は近くに母の弟家族がいました。

しかし、まわりの友達は親戚がたくさんいるので

夏休みなどの大きな休み明けには

必ずみんなが親戚などの話をしていて羨ましかったのを覚えています。

すごく寂しくて違和感がありました。

他にも原因はありますが

なぜか京都のことはあまり知らないし覚えていないことが多く、

覚えているのは楽しくないことばかり

大人になっても生きている実感がなく

普通に就職もしましたが3ヶ月でやめました。

社会人としてすべてが欠けていたと今振り返るとわかります。

そんな時、リセットして再スタートをするのに選んだ旅行先が沖縄。

そこには沖縄のルーツを辿るという想いもありましたが・・・・

今日はここまで

続きはまた明日

ここまで読んでくださったあなたに感謝です。