親戚が言ってくれた理由パート2 | 鹿児島で古民家風で田舎暮し 無農薬野菜を栽培する農家の情報ブログ   

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~田舎の暮らしから無農薬での栽培の実際まで赤裸々に載せていきます~

おはようございます。

今日も読んでいただきありがとうございます。

つは農園  ツハーマンこと津波(つは)です。

昨日の続きです。

昨日までの話はコチラ

沖縄に旅に出た私。

実はこの時 私は本家を探さず離島に渡りフラフラと住み込みのアルバイトしたり

本島で添乗員をやってみたりしていました。

そんな折、突然これではダメだと想い

本家を探そうと動きます。

捜索1日目、戸籍の住所に行くと「津波」の表札が・・・

あら見つかったと思いきや

戦争の関係で住所が少しずつ違っており

そこは本家ではありませんでした。

しかし、その日は偶然にも地域の慰霊祭があり

部落の爺いちゃん達が集まっているので

詳しいことを知っている人がいるかもということで

行ってみると部落の公民館の書記の方がおり

「探しておくから明日電話頂戴」とのこと

期待に胸を膨らましながら

翌日、連絡を入れてみると

なんと見つかったよ~とのこと。

この瞬間を待ち望んでいた私は感動

とうとうたどり着いたのですから

それはそれは本家の皆には喜ばれ

両親もとても喜んでくれました。

もちろん、家系図がちゃんとあって血のつながりも分かりました

そして、何よりも似ているのです

本当に不思議~

水より血は濃いのですね。

実はあとで聞いてことですが、

本家でも私の祖父を探しに行くことは何度も話にはあったようです。

しかし、沖縄に戻ってくるのはいつでも受け入れるが、

沖縄から探しに来ることを望んでいないかもしれない・・・

という気を遣い探さなかったようです。

だから感謝していると・・・・

でもね、本当に感謝しているのは他でもない私です。

なぜなら、あの時の私は金髪でチャラチャラ

見た目だけであれば良いのですが

中身はもっとひどく 人ととして中身のない人間だったのです。

そんな人が親戚です。なんて現れても普通なら疑うばかりです

でも受け入れてくれて親代わりのように皆で私を気にかけてくれ

成長させてくれました。

だから今ちゃんと地に足をつけて頑張れるのです。

今は数え切れない親戚の数がいて

沖縄に帰ればワイワイガヤガヤと話ができます。

今思うとすべての経験が

今やっていることにつながっています。

これが理由でした

ここまで読んでくださったあなたに感謝です。