命を頂くということ。

 

 

 


ごくごくカンタンにいうと
ごはんを食べる(食事をする)
というお話です。

 

 


いわゆる、お魚や牛、豚、鶏、といったお肉、というのは
まさに、その動物をあやめて、その命を頂くわけですから
わかりやすいかと思うんですが

 

 


じゃあ、野菜を食べることがが命を頂いていないのか、
というと、そんなことはないように思うんです。

 

 


野菜、言い換えれば、植物、

とも言えるかと思うんですが

 

 

 

 

植物が生きて、

呼吸をしてくれているおかげで

 

 

 

 

植物の吐き出す酸素のおかげで、

私たち人間が呼吸をできる(酸素を吸える)
わけですから、

 

 

 

 

人間の命を永らえさせてくれるために
生きてくれている、とも考えられるかなと思うのです。

 

 

 


要するに、野菜も、生きている。

 

 

 


なので、野菜を頂くことも、命を頂くことだと。

 

 


そして、その食材を食べるというそのものだけではなくて

たとえば、スーパーで豚肉を買ったとすると

 

 


その豚肉をスーパーの棚に並べてくれた人(Aさんとします)も

その豚肉に関して
命を使ってくれてる
と思うんです。

 

 



Aさんの命全体から見れば、何億分の1、何十億分の1とか
ものすごく小さな割合かもしれないけれど

 

 

 


Aさんの何十億分の1とかの命を頂いている、
とも考えられるんじゃないかと。

 

 

 

 

そう考えると、それこそ、

お米でいえば、稲を植えて、お米をつくって下さった方から

できたお米を運んで下さった方とか

 

 

 

 

それだけじゃないですが、食材ひとつとってみても
もう、ものすごい、数えきれないほどの
「命」を頂いてる
と言えるんじゃないかなと思うんです。

 

 

 


「それがどうしたの?」
って思われるかもしれないんですが

 

 

 


そうやって「命を頂いている」ということに着目することで

毎日の食事が、より、ありがたみのあるものになったり

 

 

 

 

今までよりさらに感謝の気持ちがわいて
幸福感がアップしたり

っていうことがあるんじゃないかなあと思うのです。
 

 

 

 

そう考えなきゃいけない、とか
そう思い込まなきゃ、っていうことじゃなくて

 

 

 


食事って、一般的に、毎日、おこなうもの
かつ、自分をつくるものですよね。

 

 

 

 

言い換えると、

毎日をつくるもの、人生をつくるもの

ともいえるかなと思うんです。

 

 

 


食事がそういうものだからこそ
「命を頂いてるんだ」っていう切り口、見方をすることで、

 

 

 

 

より、自分自身や、毎日、人生というものを

より価値のあるものしていくことができるんじゃないかなあ、

と思うのです。

 

 

 

 

 

 

 


食事というものを

改めて

「命を頂くということだ」

と考えてみる

 

 

 

 

 

 

 

 

体調等、さまざまなご事情で

「食事をすることが難しい」という方もいらっしゃるかと思いますが

そういう方についてどうこう、というつもりは全くありませんので

ご理解頂けましたらありがたいです。

 

 

 

 

もし、何かのヒントになりましたら幸いです。

 

 


最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

 

 

 

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