「ふつう」に見える中に、
ありがたいことはかくれてる。
先日、あるzoomの勉強会に参加しました。
とても内容の深い、ためになる会だったのですが
電波の状態がよくなかったらしく、
音声がとぎれとぎれになることがありました。
前後の文脈から、お話の内容はわかったのですが
ちょっと、そこのところに、エネルギーがいるなあ、
という感じになりました。
そして、会が終わってから、こう思ったのです。
「他の、ふだんの、zoomの勉強会等で、
音声がとぎれずに聞こえてるって
実はすごいことだし、ありがたいことだったんだな」
と。
本当に
「それで普通」
「それが当然」というか
当然とすら思わないほど、何も意識していないようなことが
実は電波の状況や電気の状況、機械のコンディションなど
いろんなもののおかげで成り立ってる、
すごくありがたいことだったんだなということを
改めて思ったのでした。
だからといって
「足るを知る」で
「ぜいたくなことは望んではいけない」とか
「今の状況でありがたいと思いなさい」
とかそういうことではなく
ほんとに、
何でもないようなことの中にひそむ「ありがたさ」にも
ちゃんと気づけていける感性を絶やさないというか
それを育てていく、耕していくということが
大事なんだなと、改めて思った次第です。
そして、あてつけとかじゃなくて、
それに気づかせてくれた、
電波の不調にも、感謝です。
「当然」の中の、ありがたさをみつける感性
育ててますか?
もし、何かのお役に立てましたらありがたいです。
最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。
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