人生は意図を超えてとは、ノーベル賞受賞者の野依教授の言葉だが、私の人生は、まさに意図を超えていた。
自分を卑下したことで失敗したことも多々あるし、自滅的との評を受けたこともある。
もう少し自分に自信を持っていれば、何事も為せたかかもしれないところというのはある。
最近考えたのは、私は、死ぬまで独身だ、と思ってきたのだが、最近そういう気分でもなくなってきたのだ。
結婚したくなってきた。子供がほしい。子供は一人でいいけれど。
60歳、70歳になったとき、身寄りがいない、金がない、というのはどれだけさびしいことだろうと思う。
それにつけこんだあくどい商売をやる人さえいる・・・。ああ、恐ろしや。
俺の人生には影がついてしまったけれど、誰かついてきてくれないかな、とつくづく思うこの頃である。
それにしても、この本のすごさは、何だろう。出会ってから、十年以上も経っているのに、時に手にとって読みたくなる。不滅の一冊。
「父の思い出」の章2、にラッセルの息子がラッセルを回想する英文が書かれている。かなり難しい英文だ。
内容としては、偉大なラッセルも、家の中では、愛情ある父として笑いをもたらす存在であり、世間で有名なラッセルとは違った意味での偉大さがあったということだ。
伊藤先生はこの父の思い出の章に「父権の衰退」というテーマも付け加えておられる。
ラッセルが、パイプを愛し、午前のティーを愛し、かまどの火のつけ方で怒るという何気ない姿が描かれていく中で、「子供にとって大きな、愛情ある父」が想起される。それは、父権がしっかり存在してた時代を表してもいる、と伊藤先生はおっしゃっていることになる。
ラッセルの表向きの偉大さ、と家庭の中の偉大さが対比され、メインはもちろん、後者である。
そして、ラッセルの息子が自分の息子に接するときに父ラッセルを思い出す、というくだりは、感動的でもある。
ラッセルという偉大な学者を傍で見ていた息子の回想という文章だが、まだ掘り下げて読めそうだな。
「父の思い出」とはなんだろうか。父の思い出1は、ダメ息子の話だったが、この2編で、伊藤先生が身につけさせたかったこと、を考えると、まだまだ深くあるようにも思えてくる。31歳だけど、まだまだ勉強ですね(遅いのか)。
こういうふかーい文章が載っていることが、テーマ別英文読解の魅力。
英語を勉強する醍醐味は一番はやっぱり精読の楽しみですね。
國弘流音読も、精読といっていいからな。私の場合は、伊藤流精読と、國弘流音読で、中級レベルまで
来ましたよ。間違いなく。
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それにしてもこの難しさは何だろう。この要約練習をやるだけでも相当な力がつきそうだ。(31歳のおっさんがやってるわけだけど)
文頻と、テーマ別が、駿台の記念碑と伊藤和夫先生はおっしゃってたけれど、テーマ別の要約や、同種構文の書きだし、さらに、文頻で文法事項の確認、なんて、やってたら、まさしく最強だったろうな。
伊藤先生の本をやっていると、受験英語は、「英語を学ぶ場」でなくて、「ゲームとして楽しむ場」な点が大きいな。