女子高生コンクリート詰め殺人事件 [週刊誌:週刊アサヒ芸能] | ブログ

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週刊アサヒ芸能 2004.7.22
女子高生コンクリ詰め殺人犯、再逮捕直前の「野獣捨てゼリフ」


逮捕監禁致傷容疑で、6月4日に警視庁竹の塚署に逮捕されたのは、自称・コンピュータ会社アルバイトの神作譲被告(33)

実は神作被告は15年前、少年犯罪史上に残る「綾瀬・女子高生コンクリート詰め殺人事件」のサブリーダー役として世間を震撼させた人物である。犯行当時17歳だった神作被告はその後、懲役5年以上10年以下の不定期刑が確定した。ところが、刑期を終えた神作被告は、更正どころか、さらに凶暴性を増して地元に舞い戻ってきていたのだ。

今回の事件は、5月19日の深夜2時ごろに発生した。東京・足立区に住む被害者のAさんが語る。

「もともとヤツ(神作)は、私が働いている職場のお客さんの紹介で知り合ったんです。確か、去年の暮れごろでした。190センチ近くある長身で派手な金髪に派手なジャージ。その筋の人という雰囲気があった。実際、ヤツは『オレはヤクザだ』と自慢げに話していたし、あまりかかわりあいたくないと思っていました」

しかし、神作被告はAさんと同僚のBさんを紹介されるやいなや、すぐに2人の携帯電話の番号を聞き出したという。

2人が神作被告の“正体”を知ったのは、今年4月上旬のことだった。そのとき神作被告はAさんとBさんが一緒に暮らす社宅の前で深夜、待ち伏せをしていた。Bさんが振り返る。

「ヤツは部屋に上がると帰るまでずっと『自分がいかに怖いヤツか』という自慢話を繰り返した。最初に『オレは10年間(刑務所に)入っていたんだ』と切り出すと一気にまくしたてた。そして『10何年前にこの近くで起きた大きい事件って覚えているだろ。それの犯人はオレなんだ』と、具体的な事件名こそあげないものの、あのコンクリート詰め殺人事件をにおわせていた。そして事あるごとに『わかるだろ』とこちらに同意を求めるんです」

ちなみに「コンクリート詰め殺人」の発端となる事件が発生したのは、88年11月25日のこと。
少年グループがバイト帰りの女子高生を拉致し、メンバーの少年の自宅2階に監禁。複数の少年がかわるがわる陵辱と暴力の限りを尽くし、約1ヵ月半後に女子高生を死に追いやり、死体をコンクリート詰めにして捨て去った―――。

このおぞましい事件の“真相”を神作被告は時折笑顔を浮かべながら語っていたというのだ。Aさんが振り返る。

「アイツは、事件のことを得意げに話していました。『女が死んでいるのを確かめたのはオレなんだ。タバコに火をつけて女の口に近づけても、タバコの煙がまっすぐ上っていった。それで死んだのを確認した』とか『あのときに後輩を呼んだのはオレなんだ。だから本当はオレが主犯なんだ』とまで言っていました」

神作被告は、事細かに暴行現場の模様を話した。タバコを被害者の体に押しつけたり、髪の毛を切ったりといった、15年前の事件の記憶を鮮明に覚えている様子だったというのだ。そして一とおり事件について話したかと思うと「あんときは楽しかった」と、懐かしそうに振り返ったという。Aさんの話。

「ヤツは『オレは刑務所で悟ったんだ。警察や検察にしても、マスメディアもダマすのは簡単だ』とうそぶいていた。そして『マスメディアは自分の味方だ。警察や検察に対しても自分を作り上げて相手を同情させれば、すぐに(刑務所から)出てこられる。精神病の振りをすればすぐに出られる』と言って、まったく反省した様子はなかった」

そして事件前日の5月18日、Aさんの携帯電話に神作被告から怒りの電話がかかってきたという。

「内容はよくわからないんですが、すごい剣幕で『仕事終わったら電話しろ』とどなっていた。そして仕事が終わって深夜に帰宅すると家の前に神作のセルシオが…。おそるおそる近づくと、いきなり運転席から出てきて『女、取っただろ』と因縁をつけ、何十発も殴りつけてきたんです」(前出・Aさん)

事情のわからないAさんは不意のパンチになすすべもなかった。一緒にいたBさんも茫然とするだけだったという。Bさんが話す。

「すぐにAの顔は血だらけになった。神作は『オレの情報筋から入っているんだよ』と叫びながら殴り続けた。そしてヤツはトランクから金属バットを出して威嚇すると、そのままAを車のトランクに押し込んで、あっという間に逃げてしまったんです」

一方のAさんは生命の危険まで感じたという。

「前の事件の話も聞いていたので殺されると思った。あるスナックの前で降ろされて中に監禁されてからも数十発殴られ、もうひたすら謝るしかなかった。服はもう血だらけ。神作は『綾瀬の事件では1人殺しているんだ。1人殺しても2人殺しても同じだ』と言って路上でよりも激しく殴ってくるんです」

このスナックは神作被告の母親が経営している店だった。そして朝7時ごろになってようやくAさんは解放された。しかしBさんに迎えに来てもらい帰路についたAさんに神作被告から次のような脅迫電話がかかってきた。「今回はこんなもんで済んだけど今度はもっとエスカレートするからな」

すぐにAさんは最寄りの竹の塚署に駆け込んだという。

まさに野獣としか言いようがない言動ばかりだが、神作被告の暮らしぶりはどんなものだったのか。

「神作被告は服役中に両親が離婚したこともあり、姓を変更していた。そのため周囲でも大事件の当事者としてあまり知られていなかった。約5年前に出所後、アルバイトをしながら母親と住み、埼玉県八潮市にある自宅1階の焼き肉店を手伝っていたようです」(社会部記者)

近所の住人が言う。
「地元では、あまり15年前の事件のことを知っている人もおらず、お店もまあまあ、はやっていた。男の子(神作被告)は派手な感じだったけど礼儀正しかった」

ところが母親が経営するスナックが繁盛し、人手が足りなくなった焼き肉店は数年前に閉店。神作被告はその後、職を転々とした。

捜査関係者が語る。
「神作被告はある広域組織に出入りするようになり、繁華街にワゴン車で乗りつけて花やフルーツを販売する仕事をしていたようだ。また15年前の事件についても、酒の席でたびたび周囲に話したりしていた」

事件直後には被害者の女子高生の冥福を祈り、連日写経をしていたとも伝えられた神作被告。しかし出所後の彼の行動からは反省する様子はまったくうかがえない。

当時、コンクリート詰め殺人事件を取材したジャーナリストがこう証言する。

「逮捕された4人の少年のうち、主犯を除いた3人がすでに出所しましたが神作被告以外は行方がわからない状況。ただ監禁場所を提供した少年は、すでに地方で家庭を築いているという話はある。また別の少年は少年院のイジメが原因で引きこもりになり、彼らの消息を追った報道番組に出演後は行方不明になっている。主犯格の少年は逮捕当初こそ、被害者女性の霊におびえたりしていたそうですが、今では刑務所内でも一目置かれる存在になっているとか。少年の更正という点では、はなはだ疑問が残る状況です」

さらに地元関係者からは、こんな話も伝わってくる。
「当時、取り調べを受けたものの逮捕されなかった少年が何人もいる。その中には、いまだに地元で当時の事件を自慢げに話したり『実はビデオまで撮影していた』などとうそぶくヤツまでいる。これでは惨殺された女子高生も報われません」

今回、暴行被害にあったAさんも怒りを隠さない。
「正直言って神作には当時の事件に関して、まったく反省の様子が見えなかった。重大な犯罪を起こした少年が更正するなんて大ウソですよ。今度こそ、できるだけ長く社会に戻ってきてほしくない」

しかし逮捕監禁致傷の罪では最高でも懲役10年。“野獣”が再び放たれるのは予想以上に早いのだ。