感覚がよみがえってきたから。
昨日の記事で、
『名探偵コナン』作者、青山剛昌さんについて書いた。
「子ども」な自分を信じるあり方。
それこそ、連載30年の秘訣。
子どもは、素直。
生命の素(もと)に直(じか)につながる。
エネルギーが無限に湧きあがる。
だから、疲れない。
子どもは、無邪気。
執着がないので、抵抗がない。
エネルギーがスムーズに循環。
さらに、疲れない。
ミラクルが続くアメリカ在住のAさん。
先日のお話は、土曜日。
で、翌日も。
> 日曜日もバックパッキングに
> 家族で出掛けたんです。
ほー、家族で。
仲良しだなあ~。
> テントで一泊の予定だったので、
> 重たい荷物を持って山道を歩くんですが、
> 地図を読み間違え、どこにいるのかわからなくなり、
> 7時間半も歩いたんです。
7時間半って。
すでに「家族の休日」じゃないよね。
> 日没後、暗闇の中をさらに3キロ。
「遭難」かと。
> で、何が言いたいかと言うと、
言うと?
> 荷物を持ってそんなに歩く体力
> 私にはないんです。
たしかに。
疲労困憊ですよ。
> 体調に色々問題あって、
> 2時間軽めのリュック背負って歩くだけでも、
> 負荷が掛かると立ってられない事が多々ある私が、
> 全く苦しくなく、こんなに歩けた事も信じられず、
> 病気ってなんなんだ?って思いました。
自分でも信じられないって。
イヤでも観方が変わるよね。
> 食べ物とか生活習慣とかじゃなくて(よりも)、
> エネルギーとか自分らしく生きてるとか、
> そんな事の方が大きいと実感しました。
両極を知り、中庸にいたる。
「食べ物」「生活習慣」に意識が向けば。
今度は、「自分らしく生きること」に。
> 2日連続長時間の大きな出来事があっても
> 疲れてないなんて、私にはあり得ない事なんです。
> 平日でもしょっちゅう夕方には横になってたりします。
> 今、怖いぐらい元気なんです。
考えるほど、気力の消耗。
大人は、脳内で疲れる。
「いま」を楽しめたからかもしれませんね。
遊びに夢中になる子どものように。
> 長らく閉まって忘れてた感覚が蘇って来た感じです。
> あー、この感覚いつぶりだろう?みたいな。
「初めて」ではなく、「再来」。
誰もが子どもの頃、味わった感覚。
子どもは、目の前のコトに手を打たない。
意味をつけ、分析しない。
ただ起こることを味わうだけ。
ピピッときたのが、こちら。
「いのちのダンス」
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> 赤ちゃんが何もせず
> 完全に母親に身を委ねたとき、
> 母親は赤ちゃんを一番安全に
> 抱くことができます。
今回、Aさんは、何か「した」わけではない。
起こることに抵抗せず、
驚きながらも受け容れただけ。
同じだね。
母親に完全に身を委ねる赤ちゃんと。
赤ちゃんは、あの小さなカラダで。
大きな声で泣き続けられる。
私たちは、赤ちゃんではない。
思考が働く大人。
目の前の出来事に意味をつけたくなる。
けど、意味をつけることも、つけないことも。
つけたうえで、スルーすることも。
どちらもできる。
選択できるのが、大人。
自分で「する」のも。
なるように「なる」のも。
選べることを思い出そう。
今日は、ここまで。