なぜ、あの人は、例え話がうまいのか? | まなブログ

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脈の変化でカラダの声を聴く『脈ナビ』による施術、セミナーをご案内しています。
大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。

隙あらば抽出してるから。

 

 

 

昨日の続きです。

 

例え話を効果的にするため、

普段から意識することって?

 

 

それは、口グセ。

 

 

日々の体験に、

 

 

「つまり」

 

 

でエッセンスを抽出。

 

 

抽象化することで、

他の出来事にも応用が効く。

 

体験を経るごとに、

「つまり」なネタがストック。

 

抽象度が高まり、応用範囲が広がる。

例え話がうまくなる。

 

 

直近のエピソードを。

 

 

先日の記事のとおり、

庭仕事に目覚めた私。

 

おかげで、庭もスッキリしてきた。

 

かと思いきや。

 

なんと枯れ出したの。

 

 

松が。

 

 

枯れてるっていうか。

葉の先端が茶色に。

 

 

あれあれ、なぜ?

 

暑すぎて、水不足?

 

いや、松は水なんてやらなくても平気では?

これまで水なんてあげたことないし。

 

 

早速、谷田家御用達の植木屋さんに。

実は、野球部の先輩。

気軽にわが家に来てくれる。

 

 

「ああ、これ、マツクイムシやな。」

 

 

えっ。

 

 

「去年からこの付近一帯、流行り出してなあ。」

 

 

そうなんですか。

 

じゃあ、殺虫剤とか。

 

 

「芯から喰ってるからなあ~。」

「表面から薬かけてもアカンねん。」

 

 

では、どうすれば?

 

 

「活力剤与えて、松自身の生命力を高めるしかないな。」

 

 

で、枯れますかね?

 

 

「うーん、五分五分やなあ。」

 

 

あら。

 

 

「けど、枯れる時は二週間ほどで枯れるから。」

 

 

もうひと月以上経ってますけど。

 

 

「持ちこたえるかもしれんけど。」

「何とも言えんわ。」

 

 

剪定は?

 

 

「せえへんよ。快復するまで。」

 

 

やっぱり。

 

 

・・・はい、ここから「例え話」。

 

 

鍼灸治療でもね。

90歳を超える高齢の方や

生命力が弱ってる方には、

鍼を刺さないの。

 

手のひらで軽く触れる。

そっとあたためるだけ。

 

なぜって?

 

刺激が強いから。

 

逆に、トドメを刺しかねない。

「刺激量過多(オーバードーゼ)」に。

 

 

「病」から「中庸」に。

気を動かすため、鍼を。

 

けど、変化って負担なの。

その変化に耐えられるだけの生命力があるか?

 

厳しい場合は、刺激量を減らす。

 

鍼はきついからね。

手でそっと触れるだけに。

お灸も直接肌に触れない間接灸。

 

しばらくそんな施術を続けてね。

脈などを観ながら、生命力が回復してきたら。

鍼などの気を大きく動かす施術に。

 

 

以上、鍼灸における具体的事例。

 

これを「つまり」でエッセンスを抽象化。

 

つまり、

 

 

「刺激は受け取れる範囲内」

 

 

ってこと。

 

 

例え、良かれと思っての変化でも。

許容量を超えれば、逆効果。

「変化は負担」とも。

 

このように抽象化することでね。

「鍼灸」ネタが「造園」にも。

 

 

前述の鍼灸ネタ。

先輩に話すとね。

 

 

「そうそう、同じ同じ。」

 

 

葉の色ツヤ、松ヤニの分泌量など。

生命力のサインを観ながら。

最も適切な刺激を良い加減に与える。

 

 

ああ、同じですね。

 

 

「つまり~ってこと」

 

 

「具体→抽象」の変換。

これができないとね。

 

 

「90歳の人には、鍼を刺してはイケない。」

 

 

丸暗記しちゃうの。

同じ具体的事例にしか使えない。

 

「90歳の患者さん」ネタ。

「松が枯れる」には、応用できない。

 

 

狭すぎる。

もったいない。

 

「メモ魔」が陥りがちなワナ。

書くことで安心してしまう。

 

 

私も普段、メモは取ります。

けど、それほど重要視してません。

 

「つまり」でエッセンスだけ、

抽出できればいいので。

 

 

ピピッときたのが、こちら。

 

 

「具体と抽象」

 

細谷功 インプレス

 

 

> 「たとえ話」は、

> 説明しようとしている対象を

> 具体的につかんでもらうために、

> 抽象レベルで同じ構造を持つ別の、

> かつ相手にとって卑近な世界のものに

> 「翻訳」する作業といえます。

 

 

エッセンスを抽出するのに加え、

 

 

「相手にとって卑近」

 

 

これもポイント。

身近な話題でないと、受け取れない。

 

この人なら、こんな体験をしてるはず。

観じるしかない。

 

 

> たとえ話のうまい人とは

> 「具体→抽象→具体という往復運動による翻訳」

> に長けている人のことをいいます。

 

 

抽象に変換できないと。

目の前の「具体」だけにとらわれる。

 

そのことを著者の細谷さんは、

著書『見えないものを見る「抽象の目」』で

 

 

「具体の谷」にハマる

 

 

と。

 

なるほど。

谷底では、視界が狭い。

 

空から広く見渡す。

抽象度をあげることで、俯瞰できる。

 

さすが細谷さん。

200ページほどの著書に「例えば」が
53カ所も使われている。

 

 

ってことで、感覚を伝えるには、例え話を。

例え話の幅を広げるには、

普段から「つまり」で抽象化する習慣を。

 

お試しあれ。

 

 

 

今日は、ここまで。

また、明日。

 

 

 

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