「ある」ための「ない」だから。
『ボーッと観る会』、昼の部。
さて、おふたりのAさん、
山形のYさんに続き、広島のYさん。
人生でツラかった経験。
その感覚に名前をつけると?
「『鼻をへし折られる』ですね。」
ほー、鼻を。
「根拠のない自信というか。」
いうか?
「プライドが打ち砕かれたかんじです。」
ほー、プライドが粉々といえば、
先日のAさんに近いですね。
では、人生のテーマとして。
「鼻をへし折られる」をひっくり返すと?
「『ピュアな自分に還る』ことかと。」
ほー、ピュアな自分ですか。
「へし折られるプライドも。」
「生まれてから積みあげてきた荷物だと。」
なるほど。
「けど、ベースは、誰しもピュアなままだと。」
つまり?
「大人の事情をそぎ落とすことで。」
ピュアな自分に還られると?
「ピュアな自分でも。」
自分でも?
「大人の事情に向き合えるかもって。」
それ、おもしろいですね。
人生、純粋に楽しめるかも。
・・・ああ、Yさんが。
ベビーマッサージのセラピストなのも。
「ピュアな存在に触れられるからかもしれませんね。」
必然かもしれませんね。
「赤ちゃんを想う時、いつも観じるんです。」
何を?
「愛おしさというんでしょうか。」
「たまらなく愛おしい存在だと観じていて。」
愛おしさですか。
「赤ちゃんや子どもたちを想うと。」
「奥から込み上げる熱いモノを観じます。」
それは、人生のテーマになりますね。
「おそらく私自身の本質のことも。」
「同じように観じていているはずなのに。」
なのに?
「これまで、なかなか観じとれませんでした。」
相対されてたんですね。
赤ちゃんと自分。
「何だか今、昔の自分がイメージで出てきたんです。」
昔の自分?
「はい、命を輝かせて生きてたな〜と。」
「とにかく、やりたいことやってたんで。」
なるほど。
それから生きてく知恵として、
大人の事情を身につけるほど。
「生きにくくなるばかりで。」
「ホントに重いもの背負ってました。」
「けど、いまは。」
いまは?
「背負い続けてる自分も愛おしいです。」
ほー、それはスゴい。
無垢な赤ちゃんのように。
「ピュアであろう」「ピュアであらなければ」から。
清濁併せ呑めるように。
「重苦しい自分自身を排除しようとしてましたね。」
排除してもピュアにはなれませんものね。
排除しようという意識自体が、「裁き」。
赤ちゃんは、ジャッジしません。
「あと思ったのが、これから生きていく赤ちゃんや子どもたちに。」
子どもたちに?
「生きる歓びを伝えたいな~と。」
「生きる歓び」ですか。
「 ベビーマッサージを通して。」
「それを伝えたいのかもしれません。」
ふむふむ。
「『あなたの生きていく世界は色々あるけどやさしい世界だよ』と。」
「赤ちゃんにふれながら、声をかけ続けています。」
それは、ステキなセラピストさんだ。
「このこと話してるだけで。」
「胸がいっぱいになります。」
まさに、人生のテーマ。
「アタリ」だからですね。
「泣きそうです。」
「私のテーマがあると思います。」
なぜ、赤ちゃんか?
ピピッときたのが、こちら。
「人生はストーリー」
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> 非言語的な在り方は、
> このストーリー/思考を軽くします。
私たちは、出来事に意味をつけます。
「〇〇できたから、幸せ。」
「□□できなかったので、不幸。」
自分でつけた意味に一喜一憂。
思考、コトバでつくられたストーリーを生きています。
つまり、コトバで意味づけしなければ。
ストーリーが成り立ちません。
ただ目の前を生きる。
ニュートラルでシンプルな生き方に。
その時、命は最も輝く。
非言語の世界に生きる赤ちゃん。
そのあり方を示してくれてる。
だから、観てるだけで癒されるのかも。
自分にも「ある」あり方と共鳴するから。
「いまの仕事に出会えて、幸せだと。」
「あらためて、実感できました。」
「ない」を知り、「ある」を味わう。
だからこそ、これまで真逆のあり方。
重い荷物を背負い続けるという体験。
され続けてきたのかもね。
「さらに、これまでの自分を愛おしく感じられます。」
ね~。
体験すべき人生のテーマ。
「ある」を味わうため、まず「ない」を知る。
さて、あなたは?
今日は、ここまで。
また、明日。
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