運動してるから?
昨日の記事で、
わがままであろうと書いた。
他人の目を気にしない。
自分だけにフォーカスしたわがまま。
誰かを巻き込まなければ。
わがままは、許される。
しかーし。
「許される」だけでは、心許ない。
勇気を出し、わがままであるかぎりは。
欲を出せば、愛されたい。
けど、
わがままを言えば、嫌われる。
わがままを我慢すれば、嫌われずに済む。
その思い込みがあるかぎり。
「愛される」なんて、ほど遠い。
では、どう観れば?
ピピッときたのが、こちら。
「無限の力」
清水慈永 kindle電子書籍
> 「食べなければ、痩せることができる」
> という答えを一つにすると、
> 「食べたら太る」という現実を創り出す。
> 「~したら~になる」と言ったように
> 答えを一つに絞れば、その通りになるのである。
いつもの「どちらか」。
「どちらか」は、偏りを生む。
宇宙は、偏りをそのままにしておかない。
偏りを解消すべく、バランスを。
対極の「どちらか」を体験。
強制的に「どちらも」に。
> 「運動したら、痩せることができるし、
> 運動しなくても、痩せることができる」
> このように、答えを一つに絞らなければ、
> 運動する、運動しない、は関係なく、
> 痩せることができるようになる。
だったら、最初から「どちらも」に。
わがままを言わなければ、愛されるし、
わがままを言っても、愛される。
そうは言っても、認められない?
大丈夫。
認められなくても。
認められるまで、体験し続けるから。
両極を。
けど、それはちょっとしんどい。
ZARDもびっくりの揺れる想い。
体じゅう感じるから。
わがままにしろ。
ダイエットにしろ。
そうなりたいのに、そうならないのなら。
「~したら、~になる。」
「どちらか」の前提。
無意識に創っているかもね。
まずは、気づこう。
今日は、ここまで。