Q健康って? | まなブログ

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読むだけで、健康になれます。




読み終えました。


Q健康って?


著:よしもとばなな 幻冬舎 1,365円



これ、小笠原和葉 さんのオススメ。


気になったので、amazonで。



ここ、三ヶ月。


本から遠ざかっていました。



ひと晩一冊の時期もあればね。


全く読まない時期もあり。



で、「断食明け」の読書としてはね。


これは、大ヒット。


和葉さん、ナイスアシスト。




「健康」を意識されてね。


いろいろやっておられるあなた。


その「健康」の定義が変わるかもしれませんよ。



定義を変えることがね。


施術を100回受けるより、近道ってこともある。


うん、あるな(笑)



ご自分で読んで頂きたいんですけどね。


ネタバレしちゃいます(笑)




よしもとばななさんとね。


4人のセラピストさんとの対談。


テーマは、「健康って?」。



お一人ずつ、ピピッと来たポイントを。



1.Taozen代表 大内雅弘さん


「健康は病を含むダイナミズムを持つ」



ああ、これだな。


巷の「健康」に違和感を感じるのは。


それをズバッと云い切ってくれました。



- 以下、抜粋 -



僕は健康っていうのは、病を含むような力があるものだと思うんです。


仮にすごい病気になっても、健康でいられるような人のことを、健康って言うんだと思います。


もし仮にがんになっても、明日死ぬってなっても、健康だってどこかが思える。


幸せっていう言葉も同じだと思いますが、幸せだと思える人、そういうものが健康っていうことだと思うんです。


(中略)


元気でばりばりか、あるいは人間ドックで完璧ですって言われるような人が健康だとは思わないんです。


健康のマイナスプラスのダイナミズムみたいなものが健康だと思います。



- 以上 -



世の中、ほとんどね。


「完璧な健康」


でしょ(笑)



企業や医療機関がね。


意図的にそういう情報を流しているのも然り。



受け手もね。


それに乗っかっているのも、また然り。



あるひとつの定まった「点」ではないのです。


「ゆらぎ」とも表現していいし。


「波」であり、「幅」がある。



その視点を変えるにはね。


「私たちは、肉体だけの存在ではない。」


って感じられないとムリでしょうね。



別に変える必要ないけど(笑)


ただ、「ゆらぎ」があったほうがね。


追い詰められないってこと。




「健康が幸せと同じ」


イイ言葉だ。


確かに、そうですね。



健康な人ってね。


「健康になろう」


としていない。



幸せに満ちた人もね。


「幸せになろう」


としていない。



すでに健康だし。


すでに幸せだから。



「なる」


ものでなく、


「ある」


ものだと。



いつもの結論でしょ(笑)



ただ、スルーできない一節も。



- 以下、抜粋 -



健康っていうのは何かどっちかって言うといろんなものにとらわれない状況の、僕ダイナミックバランスってよく言ってるけど。


バランス、よく中庸って言うけど中庸だと真ん中じゃないですか。


僕はそういうふうに考えないで、陰陽のバランスっていうのはなるべく陰と陽が両極にあってそれが動いてる状況。


おだやかに静かにバランスを取る人もいれば、もっと激しく取る人もいるし、グルグル回っちゃってる人もいてもいいと思うんですけど。


動かないと生命はないと思うんですよ。



- 以上 -



おっしゃってることには、激しく賛成。


ただ、言葉の定義で申し訳ないんですけどね。


「中庸=真ん中」


じゃないんですよ。



「中庸」を連呼している私。


ここは、スルーできません(笑)



以前は、私もそう思ってましたよ。


けど、ちょっと学ぶとね。


「中庸」には、二面性があることがわかります。



五行で云うと、「土」。


「中庸」と「土」は同じ。



「真ん中」、「中心」でもある。


木=東、火=南、金=西、水=北



土は?



そう、中央。


私のいる場所、現在地。


そういう、五行の一員である面もあり。



円で云えば、「中心」ね。


けど、「円全体」も「土」なのです。



中庸もね。


正反対のAとBの真ん中でもあり。



Aの端からBの端まで。


「両極を含む全体」


でもあるのです。



ある意味、どこにいても「中庸」(笑)


だから、幅があって、ゆらいでOK。



真ん中でないと、中庸でない。


完璧でないと、健康でない。


成功しないと、幸せでない。



同じでしょ。



で、締めがこれ。



- 以下、抜粋 -



健康って個人だけの問題ではないって思います。


個人の問題でもあるんだけど、やっぱり、自分だけが健康で、健康だと思えるような人は健康じゃないですよ。


仮に自分が完全に心身ともに魂も健康だとしても、まわりの人が全く健康でない状況のところで「いやぁとっても健康だ」と思ってる人ちょっと変なんですよ。


そうは成り得ないと思うんですね。


健康というものを通して社会参加もしてるっていうことがないような健康って。



- 以上 -



繰り返しますね。


「健康」を「肉体」だけの世界でとらえる。


それでは、この考えは腑に落ちません。


腑に落とせません。



「意識の在り方」


も含んでいるわけです。




結局、その部分の「気」が滞るから、病気になる。


「気は意識に導かれる」



社会とつながること。


それにより、気が交流するわけです。



水も、気も。


常に流れて、交わらないとね。


「流水は腐らず」




「健康でなければ」


と意識すればするほどに。



恐れを生じ。


視野は狭く。


壁ができる。



「○○は、こんな添加物が入ってるから、カラダに有害よ。」



広がり、ないですよね。


つながりにくいでしょ。


同じ波長の人しか(笑)



いや~、土台はそこですね。


大内さん、素晴らしい気づきをありがとうございます。



って、大内さんだけで、めちゃ長っ。


本のレビューでは、初めてだけど、


「続きは明日です。」




では、今宵はこのあたりで。