ちいさな一歩。 | バーチャルカフェ【京庵】-miyako an- 庵主の日常茶店事

バーチャルカフェ【京庵】-miyako an- 庵主の日常茶店事

閉店後10年を機に活動再開。店舗はありませんが、配信でできることをやってみます。
>かつて京都、四条烏丸にあった町家カフェ「京庵(みやこあん)」のネクストステージ。過去ログは24時間365日開店中。どうぞお茶でも飲みながらのんびりお過ごしください(^-^)

ほぼ、独り言的な
ながーーい日記です。

早朝にごめんなさい。

*****

日にちが経つにつれ、
この災害の規模の大きさに
なんとも言われぬジレンマを感じる。

自分が阪神大震災を経験しているだけに、
想像は、どうしてもそこと照らし合わせ、
思いを寄せて考えるしかできないけれど、

私たちの時でも、
亡くなった祖父が運ばれた昼前から、
時間が経つにつれ、どんどんと積み重なり
武道場の床を埋め尽くしていったご遺体の数々。。。

今の被災地ではきっと、
一度、海水に浸かっているから、
私たちのときよりもっと、傷みが早いかもしれないから。。。

生きている人のためにも、
早く荼毘にふしてあげなくては、生存者の健康をも蝕んでしまう。
悲しみにくれている余裕も与えられない。

死の尊厳を思えば、
満足にキレイにしてもあげられなくて、心も痛む。。。

なによりは、
海に呼ばれて亡くなられた方々の
身元の確認。。。
御巣鷹山の事故のときのように、
JRの脱線事故のときのように、、、
きっともっとずっと、困難を極めているだろう。。。

歯形やDNAなどと言っている時間も費用も設備も
何もかもが追いつかず、
その間に、ご遺体は朽ちていくのだろう。。。

祖父の遺体を荼毘にふすのに、
ウチはどれくらい時間がかかったのだろう。。。

もちろん、一週間や10日以上はかかったのだろうけど、
もぉそんなところは、細かく記憶には残っていない。

西宮から県外へ車で運び出すのにも、
渋滞で、丸一日はかかったはず。。。
そこから八尾へ。

今回は、そんな距離の比ではないくらい
遠くへ運ばなければ
火葬場もナイだろう。。。

あの頃の時間は、
手元に時計という物がなかったのもそうだけれど、
毎日の過ぎる実感がなくて、
昼も夜も、余震と人々のざわめき、
埃の中での途方もない景色と、
まだ埋まっている人の救出のために駆り出される
人たちの苦しい思い。。。

いち早くやってきた取材のTVカメラや
いろいろなモノが目に入っているようでいて
あまり現実味が私にはなかった。。

まるで本当に、
映画のジオラマの中に自分が入ってしまったみたいな、
パラレルワールドでの出来事みたいな、
変な冷静さもあった。

温かくなる前に、
ご遺体が一日でも早く、
お身内の方と対面できますように。。。
せめてどこに埋められたのか、
わかるように、お墓を作ってあげられますように。

土葬をするにしたって、
お墓として利用する土地の決定さえも
困難だろうけれど。。。


不明の人を探しに行くにも、
被災しているご本人も、
その人が流されたのか、埋まっているのかさえ
見当もつかないだろう。

深夜に起こった地震で、
寝ている時間、家屋の下敷きになるという
予測がつくのとは状況が違う。

どこにいて、
無事なのか、生きているのなら
どこにいるのか。。。

亡くなったにしても、
遺体はどこかに埋まっているのか、
それとも海に連れ去られたまま、
この先、何年も生死の確認さえ出来ないままの
お別れなのか。。。

最悪は、生死の確認さえも出来ない。。
そんな別れを思ったら、

時間が経てば経つほど、
心が締め付けられるモノがある。。。

どうにもできない、
自然を相手に小さすぎる自分たちの
無力を思った所でどうしようもないけれど、

遠くにいて、
その悲しみに思いを寄せても、
何にもならないとわかったところで、
それでもどうしても、
心にモヤモヤとした思いは拭えず。。。

日増しに、辛さの増す思いは、
そうして、安否も知れず、
自分たちのこの先数日の事さえも思えず、
ただ、生きている今を呆然と過ごすしかないと
感じているであろう人たちの思い、、、。

西側の消防団や自衛隊の予備軍の方々まで
駆り出された所で、
災害の規模と被災のエリアが広過ぎて、
まだまだ足りない。。。

日本の半分が傷ついているのだもの。
半分の人間が動いてやっと
追いつくのかもしれないところを、
一定の職業の人や可能な範囲の動ける人たちで
どれだけの人をどれだけのスピードで助けられるのか。。。

あの頃も、
目の前で生き埋めになっているかも知れないっていう
近所の人を助け出すのにだって、
女子供は外へ置かれて、
父や弟、近所のおじさんたちが頑張ってくれた。

私たちはただ見守っているだけで、
何にも出来なかった。

実際、
端のがらくたをどけるだけでも、
危ないからと遠ざけられて、
あの状況では自分の身を守るのが、
精一杯の「迷惑をかけない」という努力だった。

この辛い思いを抱えながら、
想像よりも遥かに、哀しい思いをしている
誰かを想いながら、、、

それでも、
私たちは日常の生活を、より活発に、
過ごしていかなければならない。

無力と感じても、
些細な事と感じていても、

その小さな一歩がなければ、
ゼロはイチにはならない。

小さなひとつをたくさんの人が重ねて、
大きな流れになるまで。

今日の一歩を積み重ねて、
明日も、明後日も、この先の何年もを作り出す。

生きていくんだ。

遠くの誰かを想いながら、
お互い力強く生きていくんだ。

誰かが出来ない何かを、
今、私がする事で世界は回る。

どこかの誰かがしてくれる事で、
今日の私が救われる。

たくさんのありがとうと、
たくさんのごめんねを抱えながら、
毎日、誰かは誰かの役に立っている。

直接的な事じゃなくても、
今日を生きてる私たちが在るだけで、
誰かのための、何かになるから、
命ある人は生きていくんです。

力強く、前へ前へ、
小さな一歩を繰り返し、
ほんの少しでも進んでいく。

今よりも明日、より好い一日が待っていると信じて。

自分の明日や、明後日や一ヶ月後や一年後、
五年後、十年後の未来だって、
今日の一日よりより好い日への一歩だと信じて。

小さな明日への信頼が、

小さな自分の人生への信頼が、

少しづつ、
確かな自信に変っていくから。

生かされている、
ただそれだけで、
誰でもが自分の未来を信頼していいと思う。

がんばろう。。。

私もがんばろう。

この苦しい気持ち、哀しい気持ち、
言い表せない気持ちのモヤモヤの全部を
忘れないでがんばろう。

こんな思いをする日があっても、
過去になるはずの明日は来ると信じて。

がんばり過ぎずにがんばろう。

時には泣いてもいいけど、
立ち止まってもいいけど、

いつかはちゃんと歩き出せるチカラを
忘れないでおこう。

大丈夫。

そう信じて。

あの日から、今日までたどり着いた私がいるから。

きっと大丈夫。

いろいろあるけど、
歩みを続ければ、前へは進む。

小さくてもいい。
無力を感じててもいい。

重ねること、繰り返すこと、
続けることで、
ちゃんと前へは進むから。

がんばろうね。

ただ、今はそうして、
自分を鼓舞する気持ちで伝えたい。

大丈夫。

信じることも、小さな一歩。

何度だって繰り返し、
そうやってきた人たちがいる。

今、また出来ないことはない。

繰り返し、何度でも、立ち上がるよ。

泣いていても大丈夫。

誰かが支えてくれているから。

けど、いつか笑顔になって欲しいと
願っているから。

被災地の明日を信じてる。

被災したすべての人の人生を
信頼してる。

今、もし本人が思えなくても、
遠くの私たち一人一人がそう思うこと。

思いのチカラは必ず届く。

信じるチカラがそうさせる。

だから世界中が祈ってくれてる。

たくさんの愛に支えられて、
今日の日を振り返る時、
きっと本当の笑顔を取り戻してる。

毎日がそのための始まりの一歩。

今日も、明日も。。。

小さな一歩でも。