うつびより20(鬱とともに生きる) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


3LDKのマンションから、駅近くの小さなアパートに引っ越しして、うつ病をしっかり寛解させる為、療養に入った。


毎日、寝て過ごす日々を過ごし、やっと歯磨きが出来るようになった。


しかし、お風呂(シャワー)だけは、入ることに凄いエネルギーを要し、シャワー中に倒れそうになることもしばしばあった。


おじいちゃん友達が、買い物や、食べる物を調達して来て、支えて貰いながら、何とか一日一日を生きていた。


時には、希死念慮が襲って来たり
不安が襲って来たりしていた。


それでも、必死で生きる選択をしていた日々を送るのみだった。


ずっとベッドに伏せていた私も、段々、心が一定に安定して来たのである。


まだ、外出出来ない時期であったが、ベッドから起き上がれるようになって来た。


シャワーも毎日は、入れないが、浴室で倒れそうになるようなことはなくなった。


そんなある日、前々から、あるお誘いがあったのだが、又再度、強いお誘いがあり、氣の講習を受けることにした。
講習を受けることによって、更にうつ病が良くなると言うものだった。


最初は、講習費用が高くてお断りしていたのだが、根気よく、私を説得する方の力説に折れたのだった。


氣の講習を受けたまでは良かった。
しかし、深く知って行く内に私の中で納得出来ないことが沢山出てくるのだった。


供養の仕方がおかしい、コレが決定的だったけれど、それまでに、毎週何日かzoomで集まり、氣の使い方の練習のようなことをし、それによって奇跡が起きたことを発表するのだった。


「ん?ん?」

私の頭の中は、混乱していた。



ある方の体験談が、魔法の様な、俄かに信じられない例えだったこと。
又、一種の宗教ではないのか?とさえ思えて来ていた。


そして、霊が視える私は、供養の仕方で、仏壇に何もあげなくて良い、と言う決定的な言葉に、もう私にはここにいる存在価値はない、と判断した。


他の宗教と同じく、壺ならぬグッズ等も売っていた。
私は、憑依されていると言われ、広島の先生にも会いに行ったのだが、何の変化は、なかった。



前向き思考や、思考は現実になると言った思想は、共感したが、週に3日やる集会や、次に又更に上の階に昇進する試験を受けるなど、勉強して身につくものなのか不信感で一杯だった。


それに、うつ病がまだ寛解した訳ではなかったのに、モヤモヤしたまま、韓国での勉強会に一人で参加することにしていたのも問題があった。


しかし、飛行機のチケットも予約して、直前になり、私の気持ちは、ガラリと変わったのだった。


やはり、何かおかしい…。



憑依している人を見つけて、憑依を取ってくれる人が韓国に行くと言うのだが、その人の憑依が取れるようになった経緯も不思議で不可解だったのである。


確かに、私は以前、憑依していたことがあったが、今はないと思っている。



細かく言うと、書ききれないが、その団体や先生に信頼を置けなくなってしまったのである。
完全に信じた自分が悪い。



私が辞めることを伝えると、引き止められたが、私の決心は固かった。
そうすると、最後に、「講習費用だけは払って下さい」と言われた。



ただ、聞くだけの4日間だけで、36万ほどの料金を分割で払っていて、勿論辞めたあともきちんとお支払いするつもりだった。(今考えると36万は高い)



以前、同じ氣の講習費用も分割できちんと払った信用があるはずなのに、最後に「金か〜」と思うと残念な気持ちになった。


この費用は、月々ではあるが、辞めた後もきっちり返済している。



韓国の勉強会の準備をしていた私は、せっかくなので、この機会に釜山ではなく、ソウルに行こうと急遽決めた。



正直、寝たきりの私がソウルに行けるのか、凄く不安だったが、ずっと色々なことを事前に調べていたので、ソウルに行くことにした。




ソウルには、ほぼカカオタクシーにお世話になり、ホテルで休むことが多く、そんなに観光には行けなかったが、良い体験だった。緊張と足の疲れで、足はパンパンに浮腫み、痛かった。韓国語が少し話せて嬉しかった。



何とか、2泊3日のソウル旅行を終え、帰宅して、直ぐコロナに罹り、ダウンして、コロナの後遺症の目眩によって良性の脳腫瘍も発覚した。



そして、回復期、リハビリ期、を今過ごしている。



まだ、料理も作れない時が多い、シャワーも毎日入れない、薬も眠剤含め7錠飲んでいるが、まずまず落ち着きを取り戻している。



先日は、グッと体調を崩し、希死念慮が勃発して、気分が不安定になったので、油断大敵だが、焦らず、ゆっくり、ふわりと緩くうつ病とともに生きて行こうと思っている。


ゆるり
ゆるり


自分のペースで


ふわり
ふわり


自分に優しく
他人に優しく


自分の心地よいと思うものだけを


今は見つけて行きたいと思う。


急がない
慌てない


人と比べない
愛を与える人になって


自分の心に灯をつけたい


鬱とともに生きる


もう少し、上手く付き合っていきたい。


痛みを分ち合っていきたい。


今日も、眩しい太陽が昇る。


私は、生きる。



うつのしづくが溜まらないように…


ストレスのしづくを垂らしながらでいい
0でもなく100でもなく、白でもなく、黒でもなく、



30%、60%の自分を褒めて行き、



動ける幸せ、空が青いと感動出来る幸せを
決して忘れず、
小さな幸せに感謝して
生きていきたい。



そして、私を支え続けてくれた今は亡き母親と、私を見守り続けてくれた友人に感謝しています。





死ななくて良かった。








終わり。







ここまで、読んで下さった方々、ありがとうございます。
何か生きるヒントや糧になると嬉しく思います。