今朝の起床も4時

牛乳を飲んで、顔を洗いスキンケアをし、日焼け止めクリームを塗って、5時30分に散歩20分歩きました。
今のところ一週間朝散歩、継続中です

おじいちゃん友達に迎えに来て貰い、おじいちゃん友達の家で朝食を食べました。
今日は、私の記憶のない部分で、次男に申し訳ないことをしていた話をします。
うつ病が発症と共にシングルマザーの生活が始まりました。
ほとんど、布団で寝ていた私です。
幼稚園をあと、数ヶ月で卒園という時期に、反対する私を無視して、義母に保育園に転園されていました。
別居中、保育園になったので、身体にムチ打って、泣きわめく次男を抱っこしてあやし、何とか保育園に車で送迎していました。
保育園の卒園式も、身体が重く、怠い中、必死で行ったことは記憶にあります。
小学校に入学時には、離婚、引っ越し。小学校に入学する前の準備(細かいものへの名前書き)がとても苦労しました。
そんな無理が祟って、朝から起きられず寝込む毎日になりました。
朝は、記憶がないのですが、パンでも準備して寝てたのでしょう
次男は、学校に行く度に私の枕元に来て「お母ちゃん行って来るね」と小声で行っていたそうです。
それでも、学校からの手紙等を読み、翌日の準備をして、ランドセルを玄関に置いていたのは記憶にあります。
宿題は見たこともなく、まともに話も出来ず、次男の話に、うん、うん、と寝ながら小声で応えていたそうです。
次男は、母親はこんなのが普通だと思っていたらしく、友達のお母さんを見て、元気なのを見て驚いたそうです。倒れるんじゃないか?と思ったそうです。
高校生活まで、いろんなことがありました。
イライラして、次男に当たったこともあったそうです。それは、最も具合いが悪い時期でした。
眠れない
食べれない
動けない
この3つの症状は、私を究極まで苦しめました。
初めて、命の電話に頼ったのもこの頃です。
次男が小学2年の頃です。
一日、心療内科から貰う栄養ドリンク缶一本飲むのが精一杯でした。
眠れなくて、朝まで起きて、朝イチでファミリーレストランに行き、食べれないモーニングを頼み、ボーッとしていました。
とにかく孤独でした。
この頃は、大阪にいたので、特に孤独でイライラしていたと思います。
次男は、勉強についていけず、発達障害じゃないか?と何処かに相談もしていた記憶があります。
人とのコミュニケーションも、何処か不自然だったのです。そんな心配をしながらも、自分のことで精一杯で、怒鳴ったりしたこともあったと、今次男が教えてくれました。
ごめんね…と謝るしかありませんでした。
うつ病の私と次男の生活は容易ではありませんでした。
遠足、運動会、が恐怖でしたね

皆さん、豪華なお弁当を作りますので…
死にものぐるいで、朝起きて、手作り唐揚げ、作ったりしてあげましたが、喜んでいてくれていたようです。
でも、本当に恐怖でしたね。朝起きられないのですから。
運動会も、体力が持ちませんでした。
中学、高校、と運動会があったことさえ知りません。
酷い母親でしたね。
でも、次男は寝たきりでも、お母さんがいつも側にいてくれたことが一番良かった、と言ってくれています。
高校時代は、あいも変わらず、朝起きれないしお金もなかったので、自然に自分でお弁当を作って3年間持って行ってくれました。
こんなお母ちゃんについて来てくれて、ありがとう
次男に感謝です
