友達がいない発達障害の息子と向き合って | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


私は離婚と同時にうつ病になりました。

その上、心身共に弱った私につけ込んで、浮気した旦那家族が、急に威張って、貯金がないことを責めたて、長男の親権を無理矢理奪われました。
生涯で一番辛かった出来事です。

それから、年長さんの次男を連れて、旦那の住処を出て二人でずっと暮らして来ました。

私は、うつ病を患いながらも、結構住まいを転々としました。親子二人壮絶な生活のスタートを切りました。

本当に、最初は辛さと元旦那とその母親への憎しみが渦巻いていました。(長男に会わせてくれなかったからです)

嫌味も沢山言われました。元旦那は、愛人と直ぐ同棲していました。
悔しさと腹立ちと憎しみと怒りで、自分を痛めつけることや、死の選択しか頭にないくらいでしたが、次男のことも、必死で守ろうとしていました。

しかし、重度のうつ病で入退院を繰り返す私は、実母の助けは必須でした。実母は人を恨んではいけないよ、と言うほど、優しい人柄でした。

次男をとても可愛がってくれていました。
遠い田舎から、バスと電車とバスで乗り継いで来られて、大変だったと思います。

そんな母に助けられながらも、基本二人の生活をしていました。

中身の話を書くと、波乱万丈だったので、今回は伏せておきます。

一番良かったのは、自分の車を持っていたことです。次男の保育園の送迎、中学の送迎や、用事があるとき、足の悪い私には必要不可欠でした。

ごくたまに、私がイライラして、息子にキツく当たったこともあったそうですえーん(記憶無し)

そして、又再び、次男が仕事を退職して私の元に来る時も大変でした。

今は、私のアパートの1階に住んでいる次男ですが、もう27歳です。発達障害の2次障害でうつを発症しており、大分回復傾向にあるので、就労支援センターに通所しています。

最近、次男のメンタルが不安定だったので、先程まで、きちんとお話しようと思い、なるべく次男の話に耳を傾け、共感したり、質問したりしてじっくり話をしました。

きちんと、次男と向き合ったら、次男も笑顔になり、緊張もほぐれ、生き生きと自分の話をしてきました。やっぱり、私にも余裕がないと、ゆっくり対話出来ませんね。なるべく傾聴して真剣に聞いていたら、次男も心を満たすことが出来、最後は甘える仕草をして、満足して自分の部屋に帰って行きました照れ


やっぱり、スマホじゃダメなんですよね。
人と人とのコミュニケーションや温もりは、凄く大事だと思いましたラブラブ


次男には、こんなお母さんの元に生まれて来てくれてありがとう。生きてくれていることだけで、凄いことなんだよ!!と言いましたキラキラキラキラ


次男は、不器用ながらも必死で生きていっていることに、凄く喜びと尊敬の念を感じています。


先ずは、自分が一番大事キラキラキラキラ


自分を癒やし、笑い、元気であることが、次男にも余裕を持って接することが出来るので

まずは、自分の機嫌は自分で取りましょうねおねがい


長文失礼致しました。


ありがとうございますスター