本格的なうつ病になって23年…。
色々ありました・・・・。
最初の頃は、とにかく希死念慮が強くて…
一番最初にオーバードーズをしたのが、初めてか、2度目に入院したころでした。その時は、ほんの少ししか飲んでいなかったと思います。遺書を書いて、これで死ねるんだ…と冷静な私が、そこに居ました。
個室でしたので、周りの静けさに妙な安心感を覚えていた記憶があります。
当然、見回りの看護師が気づき、担当医と看護師数人が来て、ベッドを真ん中に置き直し、バケツとホースを持って来て、私を起こして、吐かせようとしました。ホースを喉に突っ込んで、ゲェゲェ吐いた記憶があります。
それが、オーバードーズの始まりです。オーバードーズは、はドンドンエスカレートして行き、100錠とか飲み始めていました。
もう自暴自棄に陥っていましたね。
凄く懸命に尽くした夫に裏切られた上、長男の親権を奪われ、挙句の果て、私はうつ病になり…情けなくて、惨めで…どうしようもない気持ちでした。
長男には、会わせてくれなくなり…元夫は愛人だった人を幼い長男のいる自宅にあげて遊んでいるのが、とても許せなかった・・・・。
ドンドン私は壊れて行きましたね…。
彼が出来ても、彼と居るときでも薬を大量に飲んじゃったりして、それを言わず出かけちゃったり…途中で意識なし。家の鍵を締めて、誰にも入って来れないようにして、オーバードーズして、家の中で倒れていたのを、ホント偶然、当時の友達が、フラッと私の家に来て、インターフォン鳴らしても出ないので、おかしいと思い、一階だった息子の部屋の窓の鍵が偶然空いていて、そこから土足で侵入して、私を発見してくれたのでした。
オーバードーズとリストカットは、よくやり続けていましたね…。100錠飲んだ時は流石に死ぬと思いましたが…その時ではなく、その後飲んだ時に、今夜が山です、と言われ、ICUに入れられていました。
手首のリスカも、何度か縫い、何度か自分でケアをしながら、繰り返す日々でした。
息子が夏休みで、実家の母に見て貰っていた時には、このおとなしい私が、一人で街に繰り出すようになりました。お酒に弱い私が、何軒も一人でハシゴしたりしていました。今では、薬による躁状態だったのか、誰かに認められたいと思っていたのか、分かりません。
とにかく、辛すぎて記憶があまりなく、リスカしている自分と、ほぼ毎日、救急車🚑にお世話になっていた自分と、閉鎖病棟に入れられた記憶しかないのです。
次男との記憶がないのです

でも、常に次男は側に居たと思います。大阪から普通車でフェリーに乗って帰省した時も居たと思います。
弁護士探しのときは、キツくて大変だった記憶があります。長男の親権の取り戻しと面会の義務。手続きも大変だったような記憶があります。
結局、親権は取り戻し出来なかったですが…。
今でも、正直言うと悔しいです。
元夫は、愛人と別れて、新しい彼女と楽しくキャンプしているそうなんですが…
次男の養育費と慰謝料200万貰ってないのに、新車買ったりして、許せない気持ちでいます。
もういい加減、忘れたらいいのに…まだ傷が癒えていなさそうです。
不眠症になった時の辛さ…ご飯が喉を通らず、心療内科で、栄養缶を二箱貰って帰っていたこともあります。
一気に体重が落ちましたね。環境を変えたからだと思います。(この時期が最も最悪だったのかも知れません)
しばらくは、151センチ32キロくらいで進んでいたのではないでしょうか?
32キロ〜38キロをウロウロしていた34歳〜40歳くらいでしたね。
40歳で、一気に太り、53キロになり…その後又グッと減り…最終的には、49キロ位に落ち着いたと思います。
体重減少は、凄く変動がありました。
今の体重は、恐ろし過ぎて言えません



もう、23年経ったんですね~
うーん、、、辛かった・・・・。
もう自分を傷つけるのは、可哀想ですね

よく死なずに生き延びていますね…

aikoの歌を聞くと、入院していた当時のことを思い出しますね…
