可愛く育て過ぎたADHDの次男 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


最近…終活を少しづつしているわたし。


身体に爆弾を沢山抱えている…肝臓が悪い、腎臓も悪い、胆嚢ポリープが沢山ある、脳腫瘍がある…鬱

そんな中、次男は大人の発達障害だと4年前に発覚しました。仕事でも苦戦しており、2度ほど鬱の私に泣きついて来た時には、病名は分からずでした。

結局、就職5年目で、休職、退職、しました。

幼少期の頃は、自閉症じゃないか?と思い、療育センターにも連れて行ったのですが、言語の遅れだけを指摘されただけでした。

私は、鬱真っ只中だったので、言語教室にもきちんと通わせてあげられなかったのです。

とにかく、ジッとしていられない、集中出来ない子ども時代でしたね…。

でも、そんな次男が私には、可愛くて仕方なかったのです。いつも寝てばかりいた私ですが、小2まで添い寝していたくらいです。

素直で純粋な真面目な子に育ったのは、いいのですが、真の友達が一人もいない…頼るのは、いつもわたしなのが、とても心配なのです。

一人で、やれないことが多い…
社会に出て、一人で乗り越えられないことが多い…

そう思ったので、就職に慣れて来た頃、高知に次男を置いて、(一人暮らし)わたしは関東に行きました。

家賃の払い方や、ゴミ出し等、詳細を一冊のノートに書いて、又冷蔵庫に貼ったりして来ました。

それが、春になり部署が変わり、リーダーになった途端、仕事が出来なくなり、上司からは叱責を受けまくり…

関東にいるわたしに電話で、死にたいと訴えて来たのです。

次男は、会話も出来るし、コミュニケーションも出来るので、傍から見ると至って普通です。

・・・が、マルチタスクが出来ません。一番苦手なのが、会議や電話です。聞きながらメモを取ることが出来ません。文字も筆圧が無くて上手く字が書けません。仕事にも遅刻します。

気をつけていても、どうしても出来ないものがありますね。

そんな次男を、直ぐ助けてしまうわたしが一番悪いのでしょうね。

わたしと一緒に育ったので、直ぐ死を選ぶことも反省点です。

離婚後、幼稚園の年長さんだった次男と鬱のスタートを切ったわたしとの生活は、大変過ぎて記憶がないのです。

でも次男は、いつもお母さんが居てくれたことが一番嬉しかったと言います。

バタバタ子育て、苦難の子育てでしたが、可愛く育て過ぎたのかな、と思います。

最近、次男は、わたしが居なくなったら?と思うと涙が出ると言います。

わたし一人に依存してきたからこその結果だと思って苦しくなります。

鬱にならなくて、離婚したかったなぁ・・・

今からでも、友達を作るなり、交流するなり、社会と分断されないように、何か方法を考えてあげたいなぁと思います。

未だに甘えて来るし、一緒にDVDを見ようと誘ってくる次男は今年12月で28歳ですガーン