父親の命日 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


あれは今から23年前の話


最も不可思議だった出来事を元旦那と二人で体験しています。


私の父親は、10LDKの我が家をとても愛していました。

入院して半月で逝ってしまった父。


それも、とても残酷な病院の手当てで・・・・。


今でも後悔しています。


どうして、あんな病院を選んだのか…


父 59歳でした。

いつかのお盆の帰省中、父の寝室の外で元旦那と喧嘩になりました。

喧嘩が冷めやらぬ内に、父の寝室の襖を隔てた隣りの部屋に布団を敷いて寝ることになりました。


次男は、とっくにスヤスヤ夢の中です。
電気を消して二人が布団に入ってしばらく経った頃、
隣りの父の寝室から、ミシッミシッミシッと畳を踏みしめる音がしました。


その後、私の寝ている部屋の飾り物達が、物凄い音を立てて、ガタガタ揺れ始めたのです。大きな地震が来た時のように、凄まじい音を立てていました。


その後、廊下側でガラスが割れる音、ガッシャーン、とシンバルを思い切り合わせて鳴らした音バーンと言う凄い音が大音量で鳴り響き、終わりました。

わたしは、何が起こっているのかさえ分からず、大パニックで布団を被り、固まっていました。


眠剤でスーッと眠りに就き、朝を迎えたのですが、あれは絶対に父だ!!と思い、隣りの寝室を開けて、インスタントカメラで撮った写真には、


いつも父が生前に、寝ていた場所の上に、白いオーブがハッキリ写っていました。


もう、その家は売却しています。
今考えると、卓球場もある豪華なこだわりのある家でした。

今でも、その家にいるのかと思うと不憫でなりません。一日も早く成仏出来るよう、お父さんの好きだったところてん(本当は四国のものが良かった)とお花を、遺影の前に置き、手を合わせます。


ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます。


皆さんも亡くなられても、魂は残ると言うことを忘れないでいてあげて下さいね。