今日は一番辛かったシングルマザーの鬱病時の過ごし方を少しだけ振り返って見ようかと思いました。
長男は、弱っている私につけ込んで、親権を無理矢理元旦那の方に取られました。
なので、私は年長さんになったばかりの次男と暮らすようになりました。
いつも、実母に来てもらい、助けて貰っていたように思います。
私は、寝たきり・・・・

最初の方は、入院していました。
もう絶望と孤独しかない私でした。
夜も眠れず、食欲もなく、フラフラ状態でした。
それでも、息子と二人で暮らす決意は変わりませんでした

しんどい時は、数え切れないほどありました。
保育園の卒園式は、這って出ました。
小学校の準備も大変でした。小学生は給食なので助かりましたが、たまの遠足や運動会が恐怖でした

一度、どうしても運動会のお弁当が作れず、友達に作ってもらったことがありますが、運動会もずっと外で見ていることが出来ず、自分の車で寝ていたことを思い出します。
本当にしんどかったので、次男には、素直にお母さんは動けない病気であること、少し動くだけで小学校の校庭を100週走るくらいしんどい
ことを伝えて、謝っていました。

施設にだけは、絶対に入れたくない
と言う強い想いがあったのは、私は、短大で資格を取る為に施設実習に行ってたからです。

施設に居る子ども達は、皆、愛に飢えており、自分の自由時間がない生活だったからです。安心する居場所がないような気がしました。
丁度、今、次男が来ていたので、昔の話をすると、
『子どもは、お母さんがいるだけでいい!!もし施設に入れられていたら、捨てられていたと思い、一生恨んでいたかも』
と次男に言われました。
これは、次男だけの意見であって、皆さんが当てはまる訳ではないですが…
子どもに対して…
理想の母親になろうとせず…

病気であることを分かりやすく伝えることも必要なのではないかと思います。
寛解していたらいいのですが…

私達は、つい、自分以外の人前では無理に元気に振る舞おうとして、後でグッタリ疲れが増大します。
私は、次男には小学生から病気を分かりやすく説明していました。
小学生の次男は、何となく理解したそうで、大変だ!と思って、近くの神社で、治りますようにと、お祈りしてくれていたそうです。
自殺未遂ばかりしていたダメダメ母ちゃんでしたが、次男は優しい子に育ってくれました。
離れて暮らしていた長男も、ちょくちょく私の家に来て、嬉しかった思い出があります。
大変過ぎて、記憶が飛んでいますが、私は、『料理が出来なくてごめんね』といつも謝っていたのですが、謝られるのが、次男は嫌だったらしいです。
でも、これも今は亡き実母の助けがあってのこと。
実母がいなければ、私も短期で施設に入れてた
のかも

嫌ですが





兎に角、うつ病時の子育ては、半端ない大変さなので、施設にお世話になるのも仕方ないのかも知れませんね



結局、うつ病が寛解、断薬したのが、次男が就職してからなので、約13年間かかりました

そこから、関東に来て4度目のうつ病発症です

ここまで読んで下さり、ありがとうございます

私は、少しでも寝たきりながらも、話を聞いてあげたのが、良かったのかな?なんて思います。
子育てに正解はないですが、ほんの少しでも、コミュニュケーションは必要かな、と思っています
