学習能力が無いのか?と思われるようですが、寛解後の私の心や見えるものが、まるで変わりますので、そう言ったことを今日は書いて行きます。
うつ病時の頃の視覚は、見るもの全て霞みがかかっており、グレーやモノクロのようにしか、見れなくなります。
そして、心が動きません。
視野も狭く、明るい光りを嫌います。
読む本、読む記事、関わる人達は、共感出来るもので囲まれてしまいます。
挙げ句の果てには、ネガティブな記事を好み、自分と同等か、似たような人達と関わり、それで精一杯になります。
『人の不幸は蜜の味』
この言葉で、嫌悪感を抱く人は寛解してきているのではないでしょうか。
自分と同じ辛さや苦しみを持っている人達と話をしたり、そう言った記事を読むと安心したりしている方は、まだまだ、休養する時期だと思います。
私は、今うつ病は寛解しているところですが、視界が広くなりましたし、濃い色の自然の色に喜びを感じ、心が動きます。更に身体も動きます。
それと同時に、感謝が広がっています。
なるべく、明るく前向きな記事や動画等を選択し、付き合う方も一緒に笑って普通に過ごしている方が楽になりました。変化している途中だと思います。
行動力やパワーが徐々に、みなぎっている状態です。
しかし、これが要注意!!!
一度目、うつ病が寛解した時期、今まで寝込んでいて何も出来なかった分、何でも挑戦しようと、悪い癖が出てくる訳です。
そして、又一気に一般の方と同じスピードで突っ走るのです。
私の行動は無謀でしたけど、頑張らなければいけないような職場や仕事先のリーダーがいるような環境に飛び込んだことが、うつ病再発に繋がなりました。
うつ病になったことで、一般の方より、遥かにエネルギー量は少なくなっているはずです。(スマホ使用4~5年目くらいのバッテリー状態)
寛解した時の自分の状態は、ネガティブな記事を見ると吐き気がするほど苦しくなり、同調や共感が出来ない程です。
今現在の状態は、寛解ですが、一度目の寛解より落ち着いており、うつ病の方々の気持ちに共感はしますが、同調は出来ない状態になっています。
やはり、うつ病を患いながら、生活をしている人を見るのが心苦しくもあり、同じ目線で見れなくなるので、自然と離れていくようになります。
そう言う記事に目を向けようと思わなくなるんです。
類は友を呼ぶと言いますが、それに近い感覚を受けます。
ただ、二度もうつ病を経験していますので、共感はしますし、だからこそblogを更新しています。
息子が抑うつ状態になりましたし、うつ病の辛さは忘れてはいけないと思っています。
私は、休養中で、少し調子が良い時は、本を読んだり、自己啓発や心理学の動画を見ていました。
そして、好きな趣味を見つけました。
少し動ける時は、趣味のイベントに参加したり、うつ病とは無縁の方々とインターネットで交流していました。
その中で交流を繋げて下さった方の一人に支えられ、神社に足を向けるようになり、今ある小さな幸せに目を向けられるようになっていくことが出来ました。
それが、一度目の寛解するキッカケとなったのです。
言葉を変える
自分にはない考えを受け入れる
自分と真逆な友人の行動の真似をする
主に、こう言う経緯で寛解に至ったわけです。
寛解すると、以前のうつ病の重い時期の気持ちを忘れて行きます。
これが普通だと思いがちです。
今は、動けることに感謝、健康に感謝、食べることに感謝して、余裕を持ってゆっくり生きていこうと思っています。
皆さんも、寛解したからと言って、周りに流されないような生き方、過ごし方を見つけて頂きたいと思います。