快晴の1日スタートです。
少し雲がありますが、清々しい。
皆さん、起きて直ぐカーテンを開けられますか。
私は、直ぐカーテンを開けます。
カーテンを開けて、陽射しを浴びたくない人は、心が疲れているのではないでしょうか。
それが、健康のバロメーターですね。
カーテンを開けられない日もあって良いと思います。
そこに固執しなくても良いですが、今日の体調を知る意味では、体調が悪いから休んで良いんだ、と素直に受け止めましょう。
私は以前、一度目のうつ病を発症して、どん底の数年間をずっと、「こんなはずじゃなかった!」と強く後悔していました。
正しく生きていたのに、どうしてこんな辛い目に合わなくてはいけないのか?と…
その時は、一生懸命やること、なすこと、全て裏目に出ていました。
それで、自暴自棄にもなり、動ける時は、一人で飲み歩いていたり、今考えると、孤独の闇に包まれていて、思考がぐちゃぐちゃでしたね。
悲劇のヒロインのように、とても哀れな私でしたね。
常に愛を求めて、夜な夜なお店を渡り歩いていたことがあります。
愛する人に裏切られたので、きっと本物の愛を探していたのですね。
そして、自分を認めてくれる存在を求めていたのではなかったのではないか、と今思います。
こんなはずじゃなかった…。
いえ、こんなはずです。
今は、解るのです。
こうなったのは、全て向こう側の責任に押し付けていましたが、全てとは言いませんが、自分がそうさせていたのです。
勝手に自分の常識、自分の正しきことをして、裏切られたと思い込んでいたと思います。
当時は、病気の症状があまりにも辛すぎて、自分が悪いなんて微塵も考えませんでした。
【思考は現実化する】
よく聞くフレーズですが、その通りだと私は思います。
自分が正しいと思うことは、非常に怪しい。
うつ病が酷い時は、「貴方が自らこうしているんだよ」と言われると、激怒してその発言者に、刃向かっていたと思います。
認知の歪みを正すと良いと、よく言われますが、病状が悪化途中のうつ病患者さんには、その言葉は届きません。
反感を買うだけです。
ただ、必ず私のように、【自分で現実を造り上げている】と気づく日が来ると思います。
私が自ら、うつ病になっていこうとしたことが分かりますし、裏切られたのも私が悪いと認めることが出来ます。
どうして、うつ病になったのか。
その要因は、深く様々なことが関わっています。
人はドン底に突き落とされると、もがき苦しみ、停滞する時間があって、非常に辛い暗闇の年月を過ごすと思います。
でも、それは決して無駄ではない時間です。
自分をガラリと変わるステップに来ていたことに繋がっています。
今、苦しい…辛い…と思う方々には、厳しい言葉かもしれません。
もっともっと、先ずは、自分に優しくして欲しいです。
自分を責めなくていいのですよ。
そして、自分をどうか、諦めないで下さい。
貴方達は、他人に本当に優しく、頑張り過ぎましたね。
今度は、その倍以上、自分に優しくして頂きたいと思います。
人の意見が気になるなら、耳を塞ぎましょう。
アイマスク、耳栓をしましょう。
イヤフォン、イヤカフで、好きな音楽を聞くのも良いですね。
人やモノに、振り回されない手段を取って下さいね。
これは、本当にうつ病の段階に寄りますが、自分を先ずは守りましょう。
罪悪感は、感じなくていいのですよ。
そして、少し落ち着いて来たら、以前のblogに書いたように、ポジティブな言葉を発して下さい。
神社に行くのもお薦めです。
私は神社に、全く興味がなかったのですが、うつ病が寛解していく中、神社に行くようになりました。
お願いするのではなく、ご挨拶と、「うつ病が治るようにヒントとなる気づきを与えられてありがとうございます。」と言っていました。
まだ、ヒントを与えられていないのに、【ヒントを与えられた】と言ったかと言いますと、神社の中には鏡があります。
『与えられた』と言う言葉が鏡に反射して自分に返って来ます。
まさに、思考は現実化するですね。
疲れている方々には、とにかく脳を空にして、休んでくださいね。
脳が不安で埋め尽くされている方は、散歩すると良いですが、それが出来ない方は、マイナスの不安が出て来たら、【それでもきっと大丈夫】と声に出して下さい。
嫌々でもいいのです。
きっと大丈夫
魂に、その言葉が響いて蓄積され、思考が変わって来ます。
私は、言葉を変えたことで、寛解に向けてゆっくりですが歩を進められたのです。
信じられないでしょうけどね。
今日も、沢山自分の頭を撫でて、愛して生きましょう。
皆さんが、少しでも穏やかに過ごせますように…