年月が経つに連れ
あの時の気持ちも忘れがちになる
いつか読み返すために。
母は近所の海岸の
岸壁に建つ食堂に
ずっとパートに出ていた
24時間営業なので
国道を走るトラッカーや夜釣り客に
人気の店だ
特にうどんが大人気だった
僕が生まれて一度休職し
幼稚園か小学校に上がるころ
また職場復帰した
しっかり者の母は父とふたり
ずっと真面目に働いて
慎ましく生きた
そんな母に僕は
ずっと迷惑ばかりかけた
小、中、高と
学校に呼び出された数は
両手の指では足りないかも知れない
あんた ええ加減にしっ
母はそれしか言わなかった
それは多分
わかってくれていたからだ
無関係の他人に迷惑をかけない
そこだけは守っていたつもりだった
先生には
ホントこのバカタレがすいません
と謝った帰り道
はあ、とため息をついて上記の台詞だ
父に言いつけもしない
まぁ言いつけたところで
新聞を見ながら一声
お前ええ加減にせえよ
で終わるのはわかっていたけれど
小学生の頃
姉から、両親がもうすぐ銀婚式だ
と聞かされ
ふたりで小遣いを出し合って
何かプレゼントを買おうとなった
姉に託す為
僕はなけなしの四つ折りの五百円札を
「銀婚式」と書いたメモ用紙かノート
に挟んでテーブルに置いておいた
姉が持って行ってくれる
と思って疑わなかった
が、先に母が見つけてしまった
母はそれが僕からのお祝いだと
勘違いしてしまい、とても喜んだ
親戚にまで僕からお祝いをもらったと
電話する始末
言い出せなくなって
もうそういう事にした
後年、母の財布から
僕の汚い字で
銀婚式と書いたメモ用紙に包まれた
五百円札を見つけた時は
さすがに泣けた
母のメシは美味かった
レパートリーこそ多くはなかったが
白身魚のつみれを揚げたものや
煮ごみ、関東で言う筑前煮とか
おにぎりひとつとっても
町内の行事で各家庭で持ち寄っても
母のおにぎりは
おいしいおいしいと
真っ先に無くなった
そんな母にも
このクソババア と思わされる事は
何度もあった
最も酷いのは高校生の頃
僕が家に帰ると
ぐちゃぐちゃに荒らされた家の中に
母が呆然と座っている
聞けば空き巣が入った と言う
警察呼んだんか? と聞くと
まだ と言う
早く110番しようと言う僕に
あんたやないんやね?
耳を疑った
はあ?なんやと?もっぺん言うてみい
あんたやないんやね?
また言いやがった
語尾も強くなってる
もう呆れて果てて僕が110番した
確かに、とても品行方正とは言い難い
出来の悪い不良息子だが
まさかここまで信用ないとは
思ってもみなかった
結局
金目の物は
ほとんど無い我が家の被害は
ただ荒らされただけだった
親孝行なんて全然しなかった
いつか大人になれば
自然とやるだろう
くらいに思っていた
でも一度、社会人になって
初めて手にしたボーナスで
両親をハトバスの東京見物ツアー
に招待した
喜んでくれた
あの父でさえ
テレビや写真で見た事のある
東京の風景にはしゃいでいた
3人でおのぼりさん丸出しで楽しんだ
そして
孫を抱かせることも出来た
でも、それだけだ
妻の病気が発覚し
孫の面倒をみる為に
新幹線に乗ってふたりで来てくれた
また面倒をかけた
最後まで迷惑ばかりかけた
やがて母も亡くなった
あの時の空恐ろしさ
なんと言うのだろう
もう日の暮れかけた荒野に
ポツンと取り残されたような感じだった
この世でたったひとりの
僕の1番の味方がいなくなった
そう思った
あの時は
そんなに泣きもしなかったくせに
今こうして母の人生を思い返すと
涙が勝手に流れるのは
どうしてなのだろう
父とふたり
あっちで楽しく暮らしてくれていると
いいな