こんにちはニコニコ

こちらでは昭和50年代に小学生だった
私の記憶を書いています

初めましての方はこちらから
ご一読頂けますとありがたいです

こちらのブログの意図をぜひ
ご理解くださいますようお願い申し上げます

5年、6年生はクラス替えがなく
仲良しグループメンバーは変わらず

つるんで行動するようになっていた。

1学期の終わり頃に市立小学校全体の
水泳大会が開かれることになり

特設チームメンバー募集が行われた。

もちろん何でも挑戦したがる私は
立候補してメンバーに入ったにっこり

担任の先生も5年から変わらずなのに
また放任主義ネガティブ

5年生の時、特設ポートボール(ミニバスケ)
チームと特設合唱チーム両方に在籍して

飼育委員会の活動も忙しかった為
どれも中途半端でポートボールの顧問に

辞めさせられるというトラブルがある
にも関わらず…

まだ特設合唱チームに在籍し、6年生でも
飼育委員会で委員長として活動もしていた

またトラブルの素を作る私真顔

今、思うに…

母親びっくりマーク担任の先生びっくりマーク頼むよ物申す
自分のこと客観視できない私を
放置しないでくれ〜

自分の力量、自分の器
自分で人と比べることはしなかったから

全然分かってなかったから
いつも挑戦した結果ボロボロで傷つく

まぁ、何でも挑戦させてあげたい
っていうのは立派な考えだし

やってみてわかることは沢山ある
それはそれで勉強になるけど

正直、客観視できないし
受け入れられないし
諦められないから

恨みつらみが増えるだけ


普通発達の子供だったらある程度

自分を客観視して「◯ちゃんより自分は水泳が下手だし早く泳げるわけじゃない。それに今は合唱チームの朝練や放課後練習あるし、飼育委員会の活動もあるからそんなに暇はないかな」

って考えて自分にとって好きで楽しく
やってることにエネルギーを集中させる
方に向かうだろうと思う

こう見ると

そりゃ〜どれも中途半端になるだろ


しかし

私はとにかく変わった思考をしていて
自分が持つエネルギー量なんてのは
まったく考えもしない


アホだね〜w

爆笑


水泳は小4の頃からスイミングスクール
夏休み短期だけ入っていた為

背泳ぎくらいまではマスターしていた
こともありちょっと自信があった


しかし

特設チームの強化練習が始まり
夏休みは学校のプールで特訓

自分ばかりフォームを直されたり
していた記憶はある

本人的には必死に練習についていった

大会当日

貸切バスでチームが会場となる
他校に向かう
特別感が好きでワクワクしている私

更衣室用の教室に通されて
泳ぐ種目と選手が記載された
タイムスケジュールが張り出された

それにはもちろん私の名前もあった

ところがびっくりマーク

「あなたは着替えなくて良いから
応援席で見学してください。」
と先生に急に言われて

応援席に連れて行かれた私。
まったく状況がつかめなかった無気力

私が泳ぐはずだった種目には
仲良しグループメンバーの1人が

他の種目も泳いだ後に
私の代わりに泳いでいた煽り

確かにその子はタイムが速かった
そりゃそうだよ
スイミングスクール長期で習ってる子だよ

心の中で泣いた


帰りのバスの中でアホなりに考えた

学校ごとに競っていたから好成績を
あげたかったんだなと。

それで私は泳ぐのタイム遅いから
外されたんだ…と気がついた

だったら最初から説明して
くれよな。こちとらガキじゃねーんだし、論理的説明があれば理解できるわさ。と思った

わざわざ連れていって
現場で急に外された方が
恥ずかしいし傷つくだろ

今でもメチャ
トラウマ
昭和50年代横浜市立の小学校の教師
恨んでるからなーむかつき

ま、笑えない冗談ですが凝視

ここで大人の世界を知ったよねネガティブ
世の中は理不尽ばかり
少し免疫ついて良かったかもしれない


ちなみに

思考の癖はなかなか治らず
今はできれば

ブログ書く自分
パッチワークする自分
畑仕事やる自分
家事やる自分
書道やる自分

自分が5人欲しいw