こんにちはニコニコ

こちらでは現在50代の私の小学生時代
当時、発達障害など知られてない時代

昭和50年代の小学校で
発達障害なのか?の私が
違和感を感じながら生きていた記憶
を書いています。

はじめましての方はこちらから
是非お願いいたします下矢印
https://ameblo.jp/369ck/entry-12832410808.html


今回書いていくのは


自分自身の力量を

理解していない

ことで起きた出来事

です。


小学5年生になるとクラブ活動や

委員会活動が始まりました。


授業の一環で週に一度

時間割に組み込まれていました。


しかし、委員会活動は放課後活動も

あるわけで私は飼育委員会に属して


校舎裏にある飼育小屋に居る

ウサギとニワトリの世話を

当番制ですることになりました。





ひと学年9クラスありますから

たまにしか当番は回ってきません。


なので放課後は友達と遊んだりして

帰宅する毎日でした。






5年生の生活に慣れてきた

初夏のある日のこと


秋にある

区の行事「音楽コンクール」が

開かれることになり


参加する特設合唱チームを

5、6年生のクラスから何名ずつか選出

することになり学級会で先生が立候補者を

募りました。


私は一目散に立候補にっこり


理由は歌が好きなのはもちろん


小4の頃から母親が働き始め

帰宅しても家に誰もいないのが嫌で

帰宅したくない理由もあったし


なんでも1番になれ!お父さんグーという

父親の言葉をまにうけて


なんでも頑張らないとと思ってて

前のめりに立候補しましたねバイバイ


特設合唱チームに入って活動開始音符


早朝、放課後に練習があり

他の生徒とは違う特別感を感じて

ご機嫌に活動していましたねにっこり





二学期になって


今度は特設ポートボールチームの話が

学級会で担任の先生から皆に伝えられ

(ポートボール→ミニバスケかな)


またもや立候補する私爆笑


担任の先生は放任主義だったのか

何も言わずにメンバーに入れてくれました


合唱チームとポートボールチーム

どちらも早朝練習と放課後練習があり


私は1日おきにどちらかの練習に

参加していました。





で、忘れちゃいけない委員会活動。

これも放課後にあるわけで


たまにしか回ってこなかったから

そこに対しては迷惑かけずに済んだが


どうもポートボールは下手くそだったらしく

補欠扱いされ始め、嫌だなーって思い始め


自分のやる気ランクが1番下になり

合唱、委員会を理由に休みがち


すると、ある日…


ポートボールチーム顧問の先生に

廊下で声をかけられて


合唱とポートボール

どっちがやりたいのかはてなマーク

ニヤニヤ??

私は少し困ったけど合唱と答えた。


じゃ、もうこなくていい。

真顔ハッ


顧問の先生から言われて若干ショック

だったケド、まぁ、ホッとした爆笑


今思えば私は運動音痴で

スポーツは向いていなかったわけで笑い





でも


ただ、ポートボールチームの中には

仲の良い友達もいたから楽しくやり

たい気持ちもあった。ケド


特設チームは勝敗にこだわるための

チームでただのクラブ活動と違った


戦力外通告


ってことだったわけで魂が抜ける


だいたい、

あれもこれも出来ませんよね。

でも、当時わからなかった。


時間と自分の力量を想像する力

自分を俯瞰して見る力

自分を客観的に認識する力


これらの欠如によって

引き起こされた出来事でした。


しかし、これは20代前半まで

身に付かず…


やりたいことは片っ端からやって

オーバーワーク、体力が限界を超えて

倒れることが度々ありました。


会社員になっても

それだから大変でした真顔


自分を客観的に認識する

訓練を早めに出来ていたら

と思うことしばしば…


でも、

一部の天才の好きでやってる

作業の阻害はダメですよ


過集中は天才の所業


自分自身をコントロールする力

は欲しいのです!


外からの力によって制止されるのは

教育ではありません。


自分で自分に気づくこと


このまま続けてたら肩が痛くなるから

休憩しようとか膀胱がパンパンだから

一旦やめてトイレ行こうとか


あくまでも自分で気づく

倒れる前に、約束の時間の前に…


その訓練は必要だったな〜と

つくづく思います。