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今回は昭和50年代の頃に

小学校1年生だった自分の思い出を

書いていきます。


夢中だった絵本作り

勉強はとにかく目新しいことばかりで

楽しく取り組めていましたから


覚えが悪くともまぁ、テストの時には

間に合うくらいには、できるようになり

ほぼ大きな花丸合格をもらっていた記憶。




文字を書くこと、絵を描くことが大好き

自由帳の真っ白な紙に絵を描くのも

特別に感じで好きでした。


自宅では新聞の折込チラシの裏の

白いところに絵を描いて遊んでいたから

特別に感じて嬉しかったのです




学校の休み時間に

自分の持っていたノートか鉛筆かに

イラストが描いてあったのを真似て


それを主人公に絵本を描いて

過ごしていましたよ鉛筆


ミミちゃんとフミーくんが

冒険に出る物語でした。


それが何よりも楽しかったのか

小1の頃の友達の記憶などは

思い出しません魂が抜ける





習い事


このブログの記事を書くために

自分の記憶を辿る脳内の旅に

行きますが…


絵を描いていた記憶はたくさん

残っていて、4年生くらいまでは

「皆より上手」と思っていました。


絵に関しては祖父からの教育があった

せいもあるかもしれません。おじいちゃんカラーパレット


祖父は戦争前まで画家志望で

美術大学にいたとか?そんな記憶。


戦争後は暮らしのために大学時代の

アルバイト先だった新聞販売店を


本業にして独立し私の母や家族を

養っていったという経歴でしたから


祖父の絵画のスパルタ教育が

あったのは薄らと記憶に残ってます。


構図の取り方、絵の具の塗り方

本当に昔すぎてぼんやりとしか

思い出しませんが…


乾いてから、上からまた塗り足して

表情をつけていくなんて…


子供だしせっかちだったか無理真顔


そして怒られてた記憶w

(でも絵を描くことは嫌いにならなかった)



でも、集中力が続かない私に

祖父は絵を教える事を早々に諦めたので

小学校低学年くらいで終わりを迎えたタラー



そういうわけで…


絵を描く事は好きでしたが絵画教室に通わず

親の勧めでピアノ教室へ通い始めました。


ピアノは嫌いではなかったし

音楽を聴くのも好きでしたし


(軟禁クラシック音楽にも関わらず

クラシック音楽は好きになった)


音楽を奏でることも好きでしたから

一生懸命に取り組んでいました。


何より、母親が送り迎えをしてくれる

この時間が好きだったのかもしれません


(鬼婆でも母親を好きな気持ちは本能)


にしても…

練習するのが苦手でしたね。


母親は17時になったら練習しろムキーピリピリ


と毎日言うので流石に習慣化して

毎日17時に夕食ができるまでは

練習していました。


怒りから逃れるため

でしたけどね。


私の原動力は基本的にこれですね。

怒られない為に頑張る


大人になってもこれだから

自分を可哀想に感じることがありますもやもや


褒めて伸ばして欲しかった!!




今時はこんな良いものがあるのね指差し

あの頃の自分にプレゼントしたいわ飛び出すハート