私も、最近まで、
学校で習ったことが真実であると信じていたのですが、
いろんな資料に出会うにつれ、
歴史は、もっと広く、深く、
隠されていることもあるのだとわかってきました。
そして、
歴史で習った、縄文時代でさえ、
第2次世界大戦敗戦まで()
隠されていたことを
小名木先生のYouTubeで知りました。
過去記事にも、
弊立神宮が隠れ宮になっていたことを書きましたが、
やはり、隠したい人達はいるんですね。
古今東西、歴史は隠されていることも多く、
たいてい、
その時の権力者が、自分を立派に見せるためであったり、
保身であったり、
3次元的な理由によるものが多いと思うので、
今、
5次元への移行のタイミングで、
隠されてきた歴史が現れてくるのは、
実に自然なことなんだと思います。
縄文時代は、
紀元前1万3、4千年前から、
弥生時代が始まる、紀元前2400年前までの、
約1万年間、
戦争の形跡がない、平和な時代だったようで、
「和を持って尊しとなす」
日本の原型の時代ですね。
狩猟生活だと習っていましたが、
岡山県彦崎貝塚の縄文時代、
約6000年前の地層から、
イネ、キビ、ヒエ、小麦など雑穀類の
大量のプラントオパール(細胞成分)
が検出されていて、栽培がうかがえます。
青森県の三内丸山遺跡では、
今から約5900年前~4200年前に
栗、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの
栽培植物がDNA鑑定で判明し、
地域の気候に合わせた食料を
栽培していたことがわかってきました
鹿児島県栫ノ原遺跡では
12,000年前の薩摩火山灰の下層から
イネのプラント・オパールが検出されており、
採集か栽培かは判別できていないようですが、
縄文時代草創期の隆帯文土器や
調理に利用したと考えられる煙道付炉穴,
舟形配石などが発見され,
縄文時代草創期における南九州の先進性を示す縄文遺跡として注目されています。
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっています。
イネの栽培で、
世界最古と認められているのは、
長江下流の約1万年前でありますが、
長江下流は、今でこそ、中国ですが、
先ほどの小名木先生の2万年前の地形から、
古代日本人(倭人)は、
日本、中国、アジアに広く住んでいたと言われています。
小名木先生がおっしゃるように、
契丹古伝という中国の古書では、
「殷は倭種なり」という記述もあります。
(殷・紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)
また、「かつて東アジアに広く分布し、
春秋戦国時代に活躍した羌、秦、斉などが現在の日本人につながり、
彼らは原日本語を喋っていたことを論証した。」
という山本さんのブログも見つけました。
秦氏が、すんなり日本に溶け込んだ理由もわかりますよね。
紀元前660年2月11日
奈良県橿原市で即位された神武天皇以前にも、
倭人(日本人)には、
躍動するような歴史があったようです。
中国大陸では、多種族がいて、
必ずしも平和という訳にはいかなかったようですが、
広く生きていた祖先に
思いを馳せて視野を広げ、
守るべきものがある時には、
守る勇気も持ち、
海で守られた日本列島では、
1万年戦争がない平和を守り続けた
縄文意識を、
今こそ、取り戻したいと思うのです。