日本とインドネシア
私にとって、1昨年はバリ島、今回は、ジャワ島、インドネシアは2回目です。前回の記事はこちら。守護神日本に戻る | 5次元に生きるhttps://ameblo.jp/3694-01/entry-12850898303.html今回も、表博耀先生に付いて、第2次世界大戦敗戦後、現地に残って、インドネシアの独立戦争に参加した兵士の慰霊、文化交流と、今回は、前回にお友達になった、インドネシア人のナシャが、若い美しい女性なんですが、スラバヤという町で日本語学校を経営していて、今、注目されている、日本に若者を送り出す仕事をしています。私は、多すぎる外国人の流入には反対ですが、人手不足を助けてもらっているのも事実です。ナシャの生徒さんも、水産加工工場などで働いてくれています。その日本語学校の生徒さんと交流して、日本とインドネシアとの大昔からの繋がりや、日本が、植民地にした時代の誤解を解きたい思いをお話するというミッションがありました。まず、英雄墓地にお参り薔薇の花びらをまいて慰霊。護摩焚き(スクー寺院にて)この上で護摩炊きさせていただきました。禊(昔の王様の湧き水プール、ウムブル・ンガビーンにて)とても澄んだまろやかなお水でした。現地の新聞で紹介いただいています。上の写真は、王宮にお招きいただき、説明を聞いています。中央が、表先生ご夫妻。下は、禊の様子です。ソロから平和ミッションを呼び起こす – 中央ジャワに焦点を当てるSousei Kagura Gaungkan Misi Damai dari SoloFokusjateng.com-SURAKARTA- Komunitas budaya asal Jepang, Japan Art Sousei Kagura, menggelar rangkaian kunjungan budaya di Kota Surakarta atau Solo mulai 18 hingga 22 Februari 2026.…www.fokusjateng.com神楽とジャワ伝統舞踊の交流これも現地の新聞に紹介されました。下の写真は、王宮内で湧く聖水を顔に浸しているところです。日本の聖水と同じように、體に浸すと、ご利益があるといわれているそうです。バティック制作体験これも、現地の新聞で紹介されました。日本の蒼生神楽平和ミッション ソロでの文化協力 - スアラ・カリヤhttps://www.suarakarya.id/nasional/26016760976/misi-perdamaian-sousei-kagura-jepang-lewat-kolaborasi-budaya-di-soloそして、友達のいるスラバヤに移動。電車で4時間でした。友達の経営する日本語学校新しく開発された地域で、今までの伝統的なインドネシアと、また、別の顔をみることができました。3つのクラスで話しました。初級のクラスでは、日常的な会話のみ。中級、上級のクラスで、日本とインドネシアの関係の歴史を話しました。どのような話をしたかというと、表先生の古神道の伝承、縄文の時代、アカホヤの大噴火で、多くの縄文人が海外に逃げました。その後、メソポタミヤの地に、頭の黒い民族が現れました。スメルと呼ばれたその民族は、スメラミコトという王を持ち、世界初の文字、楔形文字とよく似た神代文字を持つ、縄文人だと伝えられています。皆さんの宗教である旧約聖書のアブラハムは、スメルの出身であるといわれています。アブラハムの息子たちが、メソポタミア、エジプトに広がりました。その後、メソポタミア、エジプトで多くの戦争があり、負けた民族が、インド、中国など陸路で、インドネシア、沖縄など、海洋を通り、日本に戻ってきました。日本人が、いろんな宗教、文化を受け入れてきたのは、日本から出て、帰ってきた子供たちが持って帰ってきたものだからです。いろんな宗教が仲良くできたらいいな、と思います。恵比須、八幡という神様は、海洋民族が持ち帰ったもので、回教、つまりイスラム教の神様だといわれています。インドネシアから来た人たちが建てた神社かもしれません。もし、日本でお祈りをしたくなったら、恵比須様、八幡神をお祀りしている神社に行ってみてください。そして、第2次世界大戦の頃、あなたたちは、インドネシアは日本に植民地にされ、厳しい統治をされた、と思っているかもしれません。でも、日本の思いは、アジアを西洋列強から解放したかったのです。日本は、第1次世界大戦後のパリ講和会議で、世界で初めて、「人種差別を止めるべきだ」と訴えた国でもあります。厳しい統治は、戦争中だったからです。日本国内でも、同じような厳しい統治がなされていました。日本がアメリカに負けてからも、インドネシアに残って、一緒に、独立戦争を戦った日本兵が大勢います。インドネシアの方が、そのことを理解して、英雄墓地に手厚くお祀りしてくださっていることを、とても感謝しています。というような内容です。ミッションを果たした後、お腹の大浄化が起こり、スラバヤの観光は、あまりできず、ふらふらでの帰国でしたが、羽田まで帰って来て、曇っていたので、富士山は見えないかなぁ、と思いましたが、さすが、頭を雲の上に出す、素晴らしい富士山でした。世界の民族が、理解し合い、仲良く生きることができますように。