今日だったんだな、と思った。
本当なら12日の今日、
父を転院先から老健へ“救出”する日だった。
でも老健さんのご尽力で、
9日の早朝、まだ病院が開いていない時間に
すべての段取りを整えてくださった。
トップの方の判断と行動力。
あのスピードがなければ、
私たちは本当に壊れていたかもしれない。
心から感謝しかない。
そして、その施設の上の方が言ってくださった。
「まずは、あなたとお母さまがしっかり休んでくださいね」
その一言で、
張り詰めていたものがほどけた。私たちはずっと
“父をどうするか”ばかり考えていた。
でも、本当は
私たちが限界だった。
もし移動日が今日だったら、
私はきっと持たなかった。
9日の移動から今朝まで、
安堵なのか、緊張の糸が切れたのか、
身体の奥から疲労が溢れ出している。
「休んでください」
そう言われて、
やっと休んでいいと許可が出た気がした。
父も限界だった。
母も限界だった。
そして間に立って動き続けた私も限界だった。
12月11日。
交通事故でICUへ。
そこから、わからないことだらけの手続き。
終わらない書類。
判断の連続。
病院の中では、
認知症に強烈なせん妄が重なり、
暴言、混乱、拘束。
まさに地獄絵図だった。
母は心ここにあらずで、会話も噛み合わない。
私はすべての間に立って走り続けた。
交通事故から、人生が一変した。
二度と自宅には戻れない。
自立していた人が、全介護へ。病院はルールで日数が来れば次を探す。
でも受け入れ先は簡単には見つからない。
やっと決まった転院先では、
“やっかいもの”のような扱い。
薬で眠らされる日々。
移動先が見つかるまで、
母は事実上の拘束。
人質のようだった。
あの時間は、本当に地獄だった。でも、今日。
「もし今日だったら壊れていた」
そう思えるということは、
もう限界を超えていたということ。
今は、ただ休む。
いろいろ書き残したいことはある。
きっとこの経験は、
同じ状況で苦しむ誰かの光になる。
でも今日は、休む。
救出できた。
生き延びた。
それだけで、今日は十分。
本当なら12日の今日、
父を転院先から老健へ“救出”する日だった。
でも老健さんのご尽力で、
9日の早朝、まだ病院が開いていない時間に
すべての段取りを整えてくださった。
トップの方の判断と行動力。
あのスピードがなければ、
私たちは本当に壊れていたかもしれない。
心から感謝しかない。
そして、その施設の上の方が言ってくださった。
「まずは、あなたとお母さまがしっかり休んでくださいね」
その一言で、
張り詰めていたものがほどけた。私たちはずっと
“父をどうするか”ばかり考えていた。
でも、本当は
私たちが限界だった。
もし移動日が今日だったら、
私はきっと持たなかった。
9日の移動から今朝まで、
安堵なのか、緊張の糸が切れたのか、
身体の奥から疲労が溢れ出している。
「休んでください」
そう言われて、
やっと休んでいいと許可が出た気がした。
父も限界だった。
母も限界だった。
そして間に立って動き続けた私も限界だった。
12月11日。
交通事故でICUへ。
そこから、わからないことだらけの手続き。
終わらない書類。
判断の連続。
病院の中では、
認知症に強烈なせん妄が重なり、
暴言、混乱、拘束。
まさに地獄絵図だった。
母は心ここにあらずで、会話も噛み合わない。
私はすべての間に立って走り続けた。
交通事故から、人生が一変した。
二度と自宅には戻れない。
自立していた人が、全介護へ。病院はルールで日数が来れば次を探す。
でも受け入れ先は簡単には見つからない。
やっと決まった転院先では、
“やっかいもの”のような扱い。
薬で眠らされる日々。
移動先が見つかるまで、
母は事実上の拘束。
人質のようだった。
あの時間は、本当に地獄だった。でも、今日。
「もし今日だったら壊れていた」
そう思えるということは、
もう限界を超えていたということ。
今は、ただ休む。
いろいろ書き残したいことはある。
きっとこの経験は、
同じ状況で苦しむ誰かの光になる。
でも今日は、休む。
救出できた。
生き延びた。
それだけで、今日は十分。