父を
介護保険施設(老健)へ移動させた月曜日。
あの日はまさに「救出」だった。
バタバタのまま私はそのあと仕事へ向かった。
60分の食事休憩。
ごはんを食べている途中で
タンブラーの蓋を開けっ放しにしたまま
壁に頭をもたせて――
気づいたら寝落ちしていた。
しかも、ものすごく深く。
それから3日間ほど
とにかく疲労がひどくて
気づけば寝落ち。でもね。
それが
なんとも言えないほど
心地よかった。
「ああ、無防備に眠れる」
いつ、だれが来るかわからない場所で
「私は今、安心できる環境にいる」
許可できてる
そう思えた瞬間、
じわっと幸せが込み上げた。無防備に眠れるという幸せ
人は本当に緊張状態が続くと
眠ることすらできなくなる。
心が戦闘モードのままだと
体はずっと交感神経優位。
だから今回の寝落ちは
「崩れた」のではなく
「回復」だったんだと思う。
体がようやく
「もう大丈夫だよ」と
ブレーキをかけてくれた。安心できる場所で
無防備に眠れる。
それって
とんでもなく幸せなこと。
思考は溜めると現象化する
体力が少し戻ってきたら
書き綴るをくり返す。
なぜなら――
書くことは
潜在意識に思考を溜めない方法のひとつだから。
ネガティブも
ポジティブも
「溜まったもの」が
現象化する。だから私は流す。
感じたことを
そのまま言葉にして
外に出す。
溜め込まない。
無理にポジティブにもしない。
ただ、流す。今回の寝落ちは
私の体からのメッセージ。
「よくやったね」って。
無防備に眠れる今の環境に
ありがとう。
そしてまた
少しずつ、進むそんな中でふと、こんなことを思った。
私が会社で
無防備に、安心して眠れているということは――
私の潜在意識の投影である父も
きっとどこかで
無防備に安心できているんじゃないか、と。
子どもは親の投影。
もっと言えば、コピー。親である側が
自分の思考や在り方を見直し
整えはじめると
投影は変わる。
自然に変わる。
無理やりじゃなくて
じわっと。
今回、私が深く眠れたことは
「私が安心を許可した」というサイン。
だとしたら
父もまた
どこかで安心を受け取っている。
そう思えたら
なんだかまた、心がゆるんだ。
現実を動かすのは
外側の操作じゃない。内側の静けさ。
私は私を整える。
それだけでいい。
目に見える立場は「親と子」だけど
エネルギーの世界では
ちゃんと連動している。
だから本当は
子どものことを必死に変えようとしなくてもいい。
介護保険施設(老健)へ移動させた月曜日。
あの日はまさに「救出」だった。
バタバタのまま私はそのあと仕事へ向かった。
60分の食事休憩。
ごはんを食べている途中で
タンブラーの蓋を開けっ放しにしたまま
壁に頭をもたせて――
気づいたら寝落ちしていた。
しかも、ものすごく深く。
それから3日間ほど
とにかく疲労がひどくて
気づけば寝落ち。でもね。
それが
なんとも言えないほど
心地よかった。
「ああ、無防備に眠れる」
いつ、だれが来るかわからない場所で
「私は今、安心できる環境にいる」
許可できてる
そう思えた瞬間、
じわっと幸せが込み上げた。無防備に眠れるという幸せ
人は本当に緊張状態が続くと
眠ることすらできなくなる。
心が戦闘モードのままだと
体はずっと交感神経優位。
だから今回の寝落ちは
「崩れた」のではなく
「回復」だったんだと思う。
体がようやく
「もう大丈夫だよ」と
ブレーキをかけてくれた。安心できる場所で
無防備に眠れる。
それって
とんでもなく幸せなこと。
思考は溜めると現象化する
体力が少し戻ってきたら
書き綴るをくり返す。
なぜなら――
書くことは
潜在意識に思考を溜めない方法のひとつだから。
ネガティブも
ポジティブも
「溜まったもの」が
現象化する。だから私は流す。
感じたことを
そのまま言葉にして
外に出す。
溜め込まない。
無理にポジティブにもしない。
ただ、流す。今回の寝落ちは
私の体からのメッセージ。
「よくやったね」って。
無防備に眠れる今の環境に
ありがとう。
そしてまた
少しずつ、進むそんな中でふと、こんなことを思った。
私が会社で
無防備に、安心して眠れているということは――
私の潜在意識の投影である父も
きっとどこかで
無防備に安心できているんじゃないか、と。
子どもは親の投影。
もっと言えば、コピー。親である側が
自分の思考や在り方を見直し
整えはじめると
投影は変わる。
自然に変わる。
無理やりじゃなくて
じわっと。
今回、私が深く眠れたことは
「私が安心を許可した」というサイン。
だとしたら
父もまた
どこかで安心を受け取っている。
そう思えたら
なんだかまた、心がゆるんだ。
現実を動かすのは
外側の操作じゃない。内側の静けさ。
私は私を整える。
それだけでいい。
目に見える立場は「親と子」だけど
エネルギーの世界では
ちゃんと連動している。
だから本当は
子どものことを必死に変えようとしなくてもいい。