知人が、犬を飼いたいというので、ビーグルをオススメしておいた。
先日、東京駅で危険物探知犬のビーグルちゃんが、めちゃくちゃ可愛くて、全身とろけそうになるくらい可愛かったので、飼うならビーグルかなと。
ね、ヤバいでしょ💖
リードを持っている警備員さんなんか、あまりの可愛さにツイツイ見つめられて頭なでなでしちゃって、あれ?勤務中だった?って顔で、私の方を見るから、「👍ですよ」ってサイン送っておきました
笑
だって可愛いから、👍ですよ❣️
許してあげて❣️
そんなこんなで、ビーグルについて調べていたら、なんと❣️
かの有名なスヌーピーのモデルは、ビーグル犬なのだとか。
そんな愛らしいビーグルを見て、「スヌーピー」の漫画が生まれたんだな〜と思うと、なんだかとっても納得。
あんなに可愛い瞳、そして、仕草を見つめていたら、たくさんの愛が生まれて大きくなって、なんとかその愛を表現して残したくなるかもしれません💖
こんなに犬を見て心揺さぶられるのは、これまでの人生でミミ以来だわ。
ミミってなんじゃ!?
ミミは、こちらの漫画をご覧ください。
↓
しょうもない父の冒険心から始まった、愛犬ミミとの出会いと別れの物語😭
ほんの1か月〜2か月程度の出来事だったと思いますが、ミミが生まれて、少しだけでお母さんになれたような経験ができたことは、私にとって宝物のような時間でした。
ひたすら愛情を注ぐ、愛情が心の奥からひたすら溢れてくる経験はかけがえのないことだったなと思います。
ある日突然取り上げられてしまって、この思いの行き場を失って苦しんだことも、それなりに自分の中で整理できたことも、今思い返せば、とても貴重な経験だったと。
先日出会った危険物探知犬のビーグルちゃんのおかげで、そんなこと思い出したのですが、
そういえば、数年前、ビーグル犬がモデルになったスヌーピーの言葉が大好きなカフェにたくさん散りばめられていて、
その時に出会った言葉を思い出しました。
♡ LOVE ♡ is WALKING HAND in HAND
( 大好きって、手を繋いで歩くこと。)
なんか、かわいい表現だなって思っていたら、絵本に描かれていた言葉みたいでした。
♡ LOVE ♡ is not nagging.
大好きってしつこくないこと。
♡ LOVE ♡ is hating to say good-bye.
(大好きってさよなら言うのがいやなこと。)
♡ LOVE ♡ is wondering what he's doing right now this very moment.
大好きって今この瞬間に、彼が何してるかなあって思うこと。
子供用の絵本で、♡ LOVE ♡(愛)とは何かを伝えている内容でしたが、
簡潔で、何気ない温かさがとってもキュートではんなりと心に響いてきて、
なんか、ステキ♡
そんなこんなしていたら、昔のインスタで、谷川俊太郎さんの「愛」という詩を思い出していました。
その詩が、このスヌーピーの絵本とちょっと似ている、大人バージョン?
スヌーピーは、幼児用ですが、こちらは、小学生以上が対象かもしれません。
とってもステキなのでご紹介しておきます。
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あい 谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること
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とてもシンプルな素朴な言葉で、素直に表現している。
4段目から、言葉で表現し難い愛の表現となり、
5段目の”はるかな過去をわすれないこと”ということから、
”見えない未来を信じること”の段で、
個人的な愛から、壮大な愛へとググッと大きく立ち上がってくる。
そして、繰り返し繰り返し考え、命をかけて生きるという、
人間の生まれてきた意味、使命、それを全うするという究極的な人間の人生そのものの地点に達している。
人生は、やはり、期間限定であって、どんな人にも平等に与えられる ”死” は、いつくるかわからない。
だからこそ、今、どう生きるのか。
何をするのか。
いつも考え、行動する。
その繰り返し。
他にもたくさんやりたいことがあっても、今はやるべきではないということも、たくさんある。
じっくりと時機を待つしかないこともたくさんある。
どんなに大好きでも離れ離れになって、それぞれの場所で生きるしかないことも。。。
愛犬ミミを取り上げられた時は、地獄の底まで響き渡るんじゃないかと思うほど、心の中で絶叫していたけど、
今となって思うのは、あれで良かったと思います。
大好きなものを取り上げられる、なくしてしまう苦しみを知っているからこそ、いつ失っても大丈夫なように、悔いのないように生きるようになったし、失っても拘らない心の筋トレができたこと。
この心の筋トレが出来てないと、逆にとんでもない人生になっていたかもしれません。
執着心や惰性を切り離せない、道徳心からダメだと思うことも、いつまでも繰り返してしまうだらしない人間になっていたかもしれません。
大好きなものを手放すというのは、本当に辛いことだけど、自分の我欲ではなく、大きな地球規模の視点でその苦しみを見たら、なんのその!
世の中には、果てしない苦しみの中で生きている人がたくさんいること。
それでも、時間はすぎてゆく。
どんどん過ぎてゆく。
みんなみんな、一所懸命生きている。
だから、私も、自分の場所で一所懸命に生きるんだ。
自分という殻の中の視点だけでは、心のど近眼になってしまう。
遠視でもあかんけど、近いところも、遠いところも、いろんなところを満遍なく見渡して、
自分は何がしたいのか?
自分は何ができるのか?
そして、何をするべきなのか?
なかなか明確にわからないままでも、繰り返しくりかえし考えて、ただひたすらに正しいと思う方向に進むしかない。
見えない未来を信じることは難しいけれど、
きっと、
自分たちの想像をはるかに超える素晴らしい景色に出会えるはず。
今までがそうだったから。
私は、未来に不安を持たなくなりました。
夢に向かって進もう❣️