今日12月17日からマクドナルドの「マックフライポテト」がSサイズのみとなる。このニュースを知って初めてアメリカの港湾ストの大きな影響を知った。こんなニュースが今まで報じられたのだろうかと信じられない気がする。今回のマックの措置は,10月下旬から始まった米西海岸における港湾労使交渉が長期化した影響のためと見られるとのことである。
しかし,もう今年の5月頃から次のようなニュースがあったのである。
5月13日のニュース
西海岸の港湾を利用する船会社やターミナルオペレーターで構成れる太平洋海事協会(PMA)と国際港湾倉庫労働者組合(ILWU)との労使交渉が5月12日から始まった交渉が妥結しない場合は労働者によるストライキに発展し,港湾機能に支障が出る可能性がある。
また,香港紙「文匯報」の11月19日付報道によると,アメリカ・ワシントン州タコマ港は労使紛争による大規模なストライキが起こり,アジア,カナダ,メキシコに輸出する予定の800万本~1000万本のクリスマスツリーが港湾に滞留し,クリスマス前に目的地に配達できない恐れがある。
これで思い出されるのが,私が留学を終え帰国する時のことである。
1962年3月14日11時付で,家に次のような絵葉書を出している。
「いよいよ本日アメリカを発ちます。荷物も無事乗ったし,天気も上々,体の調子も良い。3月28日に無事着くでしょう。その後の事は,手紙に書くより帰ってから話そうと思うので,特に書くことなし。とにかく元気である」。
その空いた所に,「港湾ストライキのため,いつ船が出るか分からなくなりました」と追記されている。
出発間際になっての港湾ストライキは大きなショックであった。もうお金はいらないということで,所持金はほとんどなしであった。
結局1週間後に,飛行機で帰ることになった。お金が無くなっていたが,たまたまアイオワ大学にいた教え子の所に立ち寄った,文部省のフルブライト団長が同じ船ということで,急遽,4日ほど出発を早めて一緒に帰国することにしたのが幸いした。1週間ほどのホテル代・食事代,船と飛行機の差額など,すべてフルブライト留学生30人分と一緒に払ってくれたのである。
この時の事を書いた数日のブログは,通常の何倍もの人が見てくれた。普段は毎日ブログを見ない方が,お金がなくなった私がどうしたかと興味を持ったのであろうと思う。