母が10歳の時,祖父は亡くなった。

 大正71918)年12月末,韓国の京城(現,ソウル)で校長をしていた小学校の職員室から火災が起きた。職員室の隣は奉安室だった。火災を知り駆けつけた祖父は御真影を奉遷すべく奉安室に飛び込んだが,煙と熱気のために倒れたのか焼死体として発見された。御真影を焼いてしまったので,申し訳ないと自殺したとの説が強い。

 実際には宿直の先生が御真影を奉遷していたのである。

 殉職美談は全国の反響を呼び直ちに映画『嗚呼鈴木校長』と題して,幾多の生前の逸話が巧みに表現された教育映画となったそうである。

 大阪城にある忠霊塔に名前が刻まれていることは大阪城に母と行った時に教えられた。

 小学校の校歌を自分で作詞されたり,切抜き細工の本を少なくとも4冊出すなど多才な,偉い人だったのに,このような亡くなり方をされたのは誠に残念である。