疎開して最初に借りた家は農家の広い家だった。庭の前は畑になっていて野菜が作れ,リンゴやおいしいブドウの木もあった。裏庭には大きな柿の木もあった。農家なので土間も広く,台所もゆったりしていた。

 中学1年の昭和23年,そこに家主か,親戚の人が住むことになって,私の家族は引っ越さなければならなくなった。

 適当な家がなかったのか,同級生の大きな屋敷の奥座敷を借りることになった。隣の部屋は,全く使われていなかったのでそこも貸してくれたらよかったのにと今思うがその時はそんなことは思わなかった。襖の隙間から除くと,文学全集などの本が幾つもの本棚にびっしり並んでいるのが見られた。既にご主人は亡くなっていたが,先生だったそうである。

 廊下があり,その奥に2つの部屋があり,その奥に廊下があった。荷物を運び込んだら,7人がやっと寝られる狭さだった。裏庭は広かった。用水沿いに台所として簡単な部屋を作った。狭い部屋で7人がやっと座って食事をした。トイレは上がり口の廊下の端にあったが,風呂はない。洗濯などは用水でしたが,顔を洗うとこなどなかったと思うが,どうしていたか,また食事用の水はどうしたかも覚えはない。多分広い庭に井戸があったのだと思う。

 狭い部屋で,兄に,曜日の英語の発音を何回も教えられたのを覚えているが,そのほか部屋の中で何かをした覚えは全くない。

 広い素晴らしい家から,まるで狭い住処へ移ったが,別にどうということはなかった。