『つまりはどのようにも出来ない完璧な流れの中で私達は完全な受け身な訳です
それを想像すると、人は無意識に拒否します
それは自我意識で在るからです
自由ではないとか言い出します』
ここをも少し深く言います
自分はなんだかんだ言っても自由なのだと当たり前に人は確信して生活しています。
色んな選択を当然誰かや何かや過去に影響されながらも常に最後は自分が決定していると疑いもなく思い生きています
だから人は自由なんだと
そう思うこと自体も自分が決めているのだと勘違いしています
そこに、全ては決まっていてあなたは何の選択もしていないと言われると、その自由とやらを奪われたように感じると当然思います
あなたはどんな夢や理想も思い描き、そこに向かって努力することができると勘違いしていますが、「それそのものが決まっている」と言うことです
どんな人と出会い、どんな仕事をして、どこへ行き、何を食べ、どんな思考が現れ、どんな人生が展開するかが決まっています
自我意識、つまり個として観るからそう思うのです
それは不自由だ!と
こう捉えることはできませんか?
だから自由なのではないでしょうか?「制限」がないのですから
だから
思ったことをやれるのです
やれると思うから
「よし、やろう!」となるだけです
そうなのです、「よし、やろう!」は決まっているのです
「〇〇だから出来ない」、、決まっているのです
全てが完璧に決まっている、だから何でも自由にやればいいのです
重要なのは、やってみた結果です
これも決まっているのです、全てがシナリオ通りです
人が苦しむのはその決断そしてその結果、うまくいかないと苦しむのです、後悔が生まれます、出来なかった理由が誰かのせいや運や自分の力不足とするならその人の執着や自分への攻撃を生み出してまたそこにいらぬ憎しみや苛立ちや虚無感が生まれます
個としての決断には、環境や今の位置、周りの反応などが絡みますから、余計に悩み余計に結果を重視します
その結果を良しと取るかダメと取るか
全てが「良し」なのです
何故か、これも決まっているからです
それを後悔したり、後悔するのが嫌だと言う執着から無理やり嫌な方を取るから「苦悩」が生まれます
個として捉えると不自由ですが、全てが完璧に決まっている状態の中で何でも自由にする、こんな自由(気楽)なことはないのであります。
そしてその決断をどう捉えることができるか、、、
そのが人に与えられた一番重要な選択の自由なのです
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