「気付く」という、普段何気なく使っている言葉を少し深く診てみたいと思います
悟りとか覚醒は全てが「気付く」です
理論で到達する真理などありません
科学は世界が素粒子で構成されていることに気付いたわけではありませんね
「こうであろう」という推測を元に実験を続けているだけ
「気付く」とは「気がつく」です
「真理とは実在するものに気付くこと(気が付くこと)」
付け加えると
「元々概念や観念など、何もなかったことに気付くこと」
わたしは決して偉くもなく、まさか「悟り」を開いた訳でもありません、が
その実在するものに気付いていた「瞬間」を遡り「こうではないですか」と書いています(文章おかしい?)
あくまでも瞬間です
その意識が常時であるなら、もっと奥へ奥へと、、、「ダルマの観察」へ、、そして悟るということかも知れません
「何が言いたいんじゃ!」
はい
つまりは、「気付く」は、体感が全てなのです
幸せなんだと「気付く」
彼女とは性格が合わないことに「気付く」
私はそれに「気付く」ことができなかった
意識の異変に「気付く」
僕は無頓着だと「気付く」
ここに理屈はありません
つまり、「気付く」とは、自分にしか意味を持たないもので、内から現れ、外側から現れる理論や理屈で到達できるものではありません
あなたは「今」起きていますか?
心はここにありますか?
「明日の会議どうしよう?」
「昨日のあいつの言葉ムカつく」
身体は今ここに在るのに
意識は過去や未来や今ここにいない人のところに行っていませんか?
今ここに在るとは
見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触るを100%味わうことです
歯を磨いている時、意識はどこに行っていますか?
磨いている気持ち良さ、歯磨き粉の爽やかな味わい、暖かいお湯の優しさを感じていますか?
ご飯を食べている時、スマホでポチポチしていませんか?
味、匂い、噛み心地、喉越し、、、美味しさの発見
していますか?
歩いている、地面の感覚、風の音、優しさ、怖さ、日差しの感覚、振っている手の動きなと診ていないですよね?
「気付く」ことのひとつの「こつ」は
正に「ヴィパッサナ」
五感の動きを診る、思考を眺める、感情を診る
正に単純作業
身体が思い通りに働いていることに「気付く」
考えてることに「気付く」
怒りやワクワクに「気付く」
「これが?」
そうです、そうしていると向こう側(内側)から「はい!」と気付かせてくれるのです
これが人それぞれの道(タオ)
私的にはナンバー1
鳥居に立った瞬間、心臓のあたりからスマホのバイブのような響きが広がり、思わず「あれ?スマホ胸ポケットに入れてた?」と、胸を触りました
そして久しぶりに見る大きな鳳蝶が私の顔の前をゆらゆら、、、
内宮からは遠いですが、伊勢に行ったら是非おすすめ致します。
生きるとは五感の活動そのもの、生きるイコール五感と言っても過言では無いです
イライラしているなあと気付くのと、イライラにどっぷりハマるとは全く違います
気付くだけで、どっぷりが消えていく
自分では抑えきれない怒りのエネルギーが観られることにより消えていく(理屈はわからない)
確かめてみればわかります
そして肝心なこと「ヴィパッサナ」イコール「今」です
過去、未来が在る、これは思考が創り出したもの。
そうですよね?
「あーあの時なんで、、、」これは
「今」思考が過去を創り出していますね、在るとか無いとかは別の話
「今」が途切れもなく続いている
「今」では無い時に行ったことありますか?
全てが「今」だと体感します
その「今」が唯一実在するもの「真理」そのものだと「気付く」のだと感じます。
その意識状態?
「言葉にならねぇ〜!」
間違いありませんw
応援よろしくお願いします
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