制約された視点ということについてです
なにが制約されているのかです
外側の世界そのものは制約されていません。そのまま実在です
想像してみてください
今目の前に大きな森が見えます
この森を注意深く見てみますと
木が集まると森となります
その森は木や草や花々や小川、小さな動物から昆虫、さらには土の中の微生物までが、それぞれエネルギーを与え合い吸収し合い、初めて森となります
その森も酸素や太陽、水や適度な温度が必要です
その土壌からも離れることはできません
そうして、私達が森と名付けた風景が出来上がります
逆もそうです
木には葉っぱがあります。
その一枚の葉は個々の細胞から成り立ちます。
もし、木から離れてしまえば、終わりです
もっと細かくすれば
個々の細胞は様々な集合体であり、それは原子や素粒子で出来上がります
私達は普段当たり前にそこに森があると思っていますが、全体が集合されて出来ています
もしも
木とか、森とか葉っぱとかの知識がないとすれば、その森はどのように見えるでしょうか?
例えば
私達が森を見た時
まず森をみて、大きな木をみてその葉や形をみて、小川を見るでしょう
言い方を変えれば
様々な集合体であるひとつの現象を私達の「波動」で参照して、五感で区切り、それぞれひとつひとつに意味をつけているために、そのように見えるだけなのです
それが「観念」というものです
それぞれがそのように見えるように意図はされているけど、私達の認識は、私達の心の中に造られた「観念」により、現象とされているだけなのです
そして、世界の中に私が在るではなく、私の中に世界が在るという認識とすれば
「遠くにある森」や
「近くにある大きな木」
その遠くも、大きいも近くも観念なのです
意識が制約から解かれ始めると
それら全てが生き生きと呼吸し、活動しているという視点になります
そして、それらは間違いなく生きているという実感が湧きます、感動の嵐です
森や大自然が好きな人は、そのような視点がかなり開かれているのでは無いでしょうか
私達は「これは木というもので、ある」とどこかで誰かに教わった時点で、観念として刻印されていくのです
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